壺齋散人の 美術批評
HOMEブログ本館東京を描く水彩画ブレイク詩集フランス文学西洋哲学 | 万葉集プロフィールBBS


メランコリア:デューラーの三大銅版画




「メランコリア」と呼ばれているこの銅版画は、デューラーがそのように命名したものである。画面の左上に翼を広げた蝙蝠が描かれているが、その翼の部分に「メランコリア1」と記されている。こんなことからこの版画は、メランコリアを描いたものであり、翼をもった女性こそはそのメランコリアの擬人化されたものだとする解釈を生んできた。この女性の顔を見よ、そこには憂鬱な気分が立ち込めているではないか、というわけである。

しかしこの絵をよくよく眺めていると、現代的な意味での憂鬱をテーマにしているとは割り切れない部分もあることに気づく。有翼の女性は憂鬱に塞ぎこんでいるとはいえないところも感じさせるし(まっすぐ正面を見据えた目がそんな風に感じさせる)、憂鬱がテーマなのに、何故キューピッドが出て来るのか、キューピッドは愛と創造のシンボルではないか、といった具合に。

そこで、このメランコリアというものをデューラーがどのように解釈していたかが問題となる。当時行われていたもっともオーソドックスな解釈は、メランコリーを人間の体液に関連つけて解釈するという、アリストテレス以来の伝統的な解釈である。それによれば、メランコリアは胆汁質と関連があり、一方ではふさぎの虫とかかわりがあるものの、人間の精神的な創造性と言ったものとも関連が深いとされていた。

もしメランコリアを人間的な創造性と関連付けて解釈することが出来れば、メランコリアは芸術家と親和性を持つということになる。つまり、この絵の中の、メランコリアの擬人化である有翼の女性は、芸術家のシンボルである、と考えることもできるのではないか。

そう考えると、絵の中のそれ以外の部分の解釈もスムーズにいくのではないか。たとえば、女性の足元にころがっている球体や、その先にある多面体、キューピッドの背後の壁にかかっている天秤、砂時計、ベルといった小道具類。それらすべては幾何学と縁が深い。ところでデューラーの時代にあって幾何学は、七つの自由学芸の一つとして、芸術と深いかかわりがあるとされていた。

こう解釈すると、この絵は、芸術のシンボルとしてのメランコリアを表現したものだといえないこともない。デューラーは、この絵を通じて、芸術家としての自分の肖像をシンボライズして表現したのではないか。そうも思われるのである。

(1514年、銅版画、31.8×26cm)





HOMEデューラー次へ







作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである