壺齋散人の 美術批評
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皇帝マクシミリアン一世の肖像:デューラーの世界




三大銅版画を完成させたあとデューラーが取り組んだのは、神聖ローマ皇帝マクシミリアン関連の仕事であった。皇帝は1512年2月にニュルンベルグに短期滞在したことがあったが、その折にデューラーは、友人ピルクハイマーの仲立ちで皇帝に面会した。その際デューラーの仕事ぶりが気に入った皇帝は、後に作品の創作を依頼する。ひとつは「凱旋門」の巨大な木版画、もうひとつは「兵士たちのための祈祷書」の縁飾りの素描である。

凱旋門の木版画は、縦3.4m、横2.9mという巨大な物であり、当然一枚の紙に直接印刷することはできない。そこで画面を何枚かに分割し、それを張り合わせるという方法をとった。実はこの凱旋門を、皇帝は現実の構築物として建設したい意向をもっていたとされるが、財政状態が不如意だったために、木版画で代用させたといわれる。

「兵士たちの祈祷書」は、トルコ軍との戦いの中核部隊となる聖ゲオルク騎士団の兵士たちのために皇帝が自ら計画したものである。皇帝はその縁飾りのための素描をデューラーに依頼したのだった。

こうした経緯を経て、デューラーに皇帝の肖像をスケッチする機会が訪れた。1518年6月のことである。デューラーはニュルンベルグ参事会によって、アウグスブルグの帝国議会に派遣されたのであるが、その間に、皇帝を素描したのである。デューラーはこの素描をもとに、板絵の肖像画を作るつもりでいたのだったが、それは皇帝の在世中には完成しなかった。スケッチの半年後の1519年1月に、皇帝が死んでしまったからである。

この板絵は、皇帝の死後に完成した肖像画である。素描は胸から上だけで、しかも衣服は簡単にスケッチされているにすぎないが、表情はほとんどそのまま板絵にも採用されている。

この絵の構図を見ると、デューラーが若い頃に描いた父親の肖像画を思い起こさせる。斜め前を向き、手の仕草が強調されているあの構図である。この絵の中の皇帝も斜め前を向き、左手はザクロを抱え、右手はリズムを取っているように見受けられる。こうした構図がフランドルの伝統を踏まえていることは前にも述べた。恐らくデューラーは皇帝の率直な人柄に惹かれて、自分にとっては馴染みのある構図の中に、皇帝を収めたのだと思われる。

(1519年、板に油彩、74×61.5cm、ウィーン、美術史博物館)





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