壺齋散人の 美術批評
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愚者の船:ボスの世界



愚者の船は中世末期の民衆にとってなじみの深いテーマだったようだ。もともとは、十字架をあしらったマストの船が人々を天国に運んでくれるというイメージだったものが、後に生臭坊主や堕落した尼僧が船の客となって、天国ならぬ自堕落郷(阿呆国)へ運んでいくというイメージに変っていったものらしい。

ボスの同時代にも、セバスティアン・ブラントが「愚者の船」というタイトルの本を出版しているが、ボスが直接題材にとったのは、15世紀初め頃のネーデルラントの詩であったようだ。

船の真ん中には僧侶と尼僧が向かい合って座っている。彼らがこの船の主客なのだろう。目の前にぶら下がったパイを見つめながら、大口をあけて歌っている。尼僧がバンジョーのようなもので伴奏する。台の上にサクランボの皿が置かれ、酒壺が見えるところから、一同は宴会の真っ最中だと思わせる。

右手の木の枝に座った男は盃から酒を飲んでいる。その足元の男は飲み過ぎてゲロをはいている。水の中には二人の男が泳いでいて、そのうちの一人は盃を差し出している。俺にもいっぱい分けてくれということだろう。

船の上にはマストのかわりに大きな木が立てられている。木の上の茂みには、ボスになじみの深い生き物、フクロウが潜んでいる。茂みの下にはイスラムの象徴である三日月が描かれた旗が翻っている。旗の下には七面鳥の丸焼きが結わえつけられ、それを盗もうとして、男が茂みの中から身を乗り出し、ナイフを振りかざしている。

画面左手の二人目の尼僧は隠れようとしている男の上に覆いかぶさるようにして酒壺を振り回している。遠慮しないでもっと飲みなさいといっているようだ。中世末期の人々にとって、僧侶や尼僧は敬虔でおごそかな人というよりは、貪欲で罰当たりな人というマイナスイメージに染まっていた、そのことをこの絵はよく教えてくれる。

とにかく底抜けに明るい絵だ。画面から罰当たりな歌声が響きだしてくるような感じさえする。愚者の船というより罰当たりの船といったほうが的確なようだ。

(板に油彩、56×32cm、パリ、ルーヴル美術館)





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