壺齋散人の 美術批評
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煉獄の拷問:最後の審判



「最期の審判」中央パネルで展開されている光景は、裁きの場としてのヨシャパテの谷であって、地獄そのものではないとしたら、ここで展開されている責め苦は何を表しているのだろうか。画面のいたるところに、グロテスクな化け物や怪物が跳梁し、裸の人間たちがそれらによって拷問の責め苦を受けている。これは煉獄の試練なのだろうか。

煉獄は、人が死んだあと最後の審判を待つ間に通過するところである。ここで人は生前の行いに応じて様々な試練にさらされるという。その試練を、このパネルは描いているのだろうか。

人間に試練を与えるのは、悪魔の手先ということになっている。悪魔の手先は、人間と動物との混合物のようなものとして考えられていた。ボスがこのパネルの中で登場させているのも、そうしたイメージである。

とくに興味深いのは、頭から直接足が生えた怪物グリッロだ。このパネルの中のグリッロたちは、人間の拷問には直接かかわっていない。拷問をうけてもだえ苦しんでいる人間を眺めているだけだ。そのなかで、胴体部分が魚の形状をしたグリッロは、鉄兜をかぶって口を開き、興奮した様子を見せている。魚の口が爬虫類のような生き物に食らいついているのだ。

その爬虫類の仲間は、このパネルの中では、人間を拷問する立場なのだ。

半魚グリッロの周辺でも、様々な拷問が繰り広げられている。すぐ右手では、鳥のような足を持った魔女にフライパンで炒められる男、腹の突き出た魔女に脂をかけられる男、串刺しにされた男や、薫製のように並んでいぶされている男たち、釜茹でにされている男たちなどがいる。

左手では、太鼓腹の男が大樽から流れ出る酒をがぶ飲みしている(させられている)。その後ろの小屋の中では女形の化け物が人間を樽づけにしている、といった具合だ。

こうした場面はどれもこれも、見る者に吐き気をもよおさせるようなものだ。一体ボス以前の画家でこんなテーマを好んで取り上げたものがいただろうか。





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