壺齋散人の 美術批評
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歌う鳥とムール貝:ボス「悦楽の園」




ボスのトリプティック「悦楽の園」中央画面には、世界の美術史上例を見ない、豊かで官能的なイメージが展開されている。それを幻想的と言うべきではない。イメージそのものに確固とした物質性があるからだ。この物質性ゆえに、イメージは逆らい難い力を以て見る者の目を釘付けにするのだ。

この官能的でかつ祝祭的な雰囲気は、おそらくカーニバルのどんちゃん騒ぎと関連があると考えられる。この作品には、明らかなモックキングやトリックスターは登場しないようだが、陽気なパレードや性的などんちゃん騒ぎの雰囲気が溢れている。パレードそのものが、セックスの隠喩になってもいる。(動物に跨ることは、性行為を連想させる)

この部分画面を見ても、カーニバルにつきもののセックスの開放を読み取ることができる。左手上方の鳥たちは、愛の園に住むとされる歌う鳥であろう。人間よりも大きいその形が見る者の度肝を貫くが、これらの鳥たちは歌いながら、人々の愛とセックスを祝福するのだ。

鳥たちのやや上方に描かれている、人間を乗せた奇妙な生き物は、何やら男根を連想させる。その前を行く角を生やした山羊は、女房を寝取られた間抜けな亭主である。

水に浮かんだ黒イチゴをはじめ様々な果実が描かれているが、それらは快楽を表している。またムール貝は女陰を表し、その中に体を突っ込んでいる男は、今やセックスの快楽に溺れている最中なのである。画面右下の魚は、これも男根の象徴であり、その前でイチゴを食っている女が、流し目をくれているとところだ。

このほか、果実の殻のような奇妙なイメージがいくつか描かれているが、それらの中には人が、場合によっては男女のカップルが入っている。カップルの男女たちは、秘められた場所で、これから秘められた行為をしようというのだろう。また、画面右下の大きく口をあけたところは、一説には「ピタゴラスの穴」と呼ばれるもの。ピタゴラス派の秘教的な雰囲気を伝えようとする命名だ。ピタゴラス派はストレートな形ではセックスを連想させないが、その秘教的で閉鎖的な同志愛が、男色を強く匂わせる。

左手中ほどで水に浸かっているフクロウは悪魔の使いである。このフクロウは、悪魔の誘惑に負けてセックスの快楽に没頭している人間たちを、冷ややかな目で観察しているのである。





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