壺齋散人の 美術批評
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放蕩息子:ボスの世界




ロッテルダムにある円形のパネル画「放蕩息子」は、干草車の外翼画「行商人」とよく似ている。どちらも初老の行商人を描いており、その顔つきや姿勢がそっくりなのだ。しかし、男の杖先に、邪悪な表情の犬が吠えかかっているところを覗けば、男を取り囲む風景は全く違う。

「行商人」のほうは、身なりも顔つきもくたびれ果てた様子の初老の男が荒野を行き、その背後には通りがかりの人を襲う追剥や、ダンスを踊っているらしい罰当たりな人間たちが描かれている。そんなところから、その絵は、人間世界の邪悪さを告発しているのではないかとの解釈も成り立つ。

それに対して「放蕩息子」では、男は買収宿と思しき建物のそばを通り抜け、牧場に通じる柵へと進み出でようとするところが描かれている。しかし男の顔は、いますぐ通り過ぎてきた建物を、未練がましく振り返っている。牧場へと進むか、引き返そうかと悩んでいる風情が伺われるのだ。

背後の建物が売春宿であることは、扉口で男女がいちゃついているところ、屋根にビールのジョッキを掲げ、酒が飲めることをアピールしているところ、窓から女が顔をのぞかせて男を勧誘しているらしいところなどから推測される。

ボスはこの絵を、ルカ伝第15章の「放蕩息子」に基づいて描いたとされるが、その中で主人公の放蕩息子は、放蕩の限りを尽くしたのち自分の家に戻り、父親から暖かく迎えられることになっている。しかしボスはこの絵で、父親との再会よりは、放蕩生活への未練のようなものを前面に押し出しているようだ。

犬のほかに多くの動物が描きこまれているが、それらが何をシンボライズしているのか、見る者を空想にいざなう。牛は父親の懐の深さを、子だくさんな豚はセックスの豊穣さを、フクロウは悪魔の使いとして、男をもとの放蕩生活に引き戻そうとしているのかもしれない。

(円形パネルに油彩 直径71.5cm ロッテルダム、ボイヒマンス・ヴァン・ボイニンゲン美術館)





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