壺齋散人の 美術批評
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瞑想する聖アントニウス:ボスの世界




聖アントニウスは、3世紀半ばから4世紀半ばにかけて、エジプトに生きていた聖人だ。その生涯については、司教アタナシウスが「聖アントニウス伝」としてまとめたところだが、それによれば、聖アントニウスは悪魔の誘惑との戦いを経て、偉大なキリスト者としての評判を確立し、晩年は多くの弟子と共に、修道院的な生活を送ったということになっている。それ故、聖アントニウスは修道院の創設者とも目されている。

聖アントニウスをめぐる話の中心は、なんといっても、度重なる悪魔との戦いだ。その戦いを描いたボスの絵としては、リスボンにあるトリプティックが有名であるが、この絵「瞑想する聖アントニウス」もまた、悪魔との戦いの一端を描いたものとされている。

しかし、それにしては、絵を支配している雰囲気が非常に平静で、戦いを描いたものとはとても感じさせないところがる。そんなところから、これは誘惑との戦いそのものを描いたのではなく、誘惑に打ち勝ったアントニウスの、心の平静を描いたとする解釈も持ち上がった。そうだとすれば、絵の中に出てくる怪物たちのイメージは、現実の存在ではなく、アントニウスの瞑想の中のイメージに形を付与したものだと考えることもできる。

どちらに解釈するにしても、絵に中で描かれているのは、瞑想するアントニウスと、彼を取り囲んでそれぞれ攻撃の仕草をしている怪物たち、そして彼らが位置しているのんびりとした田園風景だ。

アントニウスは木のウロに腰をおろし、虚空の一点を見つめている。彼の前には、濁った水面から化け物の顔が突き出している。アントニウスは、実はこの怪物から目をそらしたくて、虚空を睨んでいるという解釈も成り立つ。

その他、ハンマーを振り上げた鳥の怪物、弓矢を構えた鉄兜の怪物、壺を抱えた二匹の怪物、壺から流れ出ているのは誘惑の水であろう、そして左下の二本足の怪物。みなそれぞれアントニウスを威嚇しているようにもみえるのだが、当のアントニウス自身はその威嚇を感じていないように描かれている。

アントニウスの周囲には、穏やかな田園風景が広がっている。それは聖アントニウス伝が伝えるような、エジプトの砂漠や荒涼たる墓地とは異なって、ある種の豊穣ささえ感じさせる。

こうしてみると、この絵がいかに聖アントニウスの伝統的なイメージとかけ離れたものか、良くわかる。ボスがどんな意図からこのような絵を描いたのか、それはわからない。

(パネルに油彩、70×51cm、マドリード、プラド美術館)





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