壺齋散人の 美術批評
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聖アントニウスの誘惑(左翼):ボスの世界




三連祭壇画「聖アントニウスの誘惑」は、数あるボスの聖人画の傑作であるのみならず、生涯の画業の集大成と言ってもよい。テーマの解釈と言い、画面構成と言い、豊かな色遣いと言い、ボスの特徴と言うか、長所がことごとく盛り込まれている。

「聖アントニウスの誘惑」というとおり、テーマは悪魔による誘惑である。ボスの時代、悪魔は単なる想像の産物ではなかった。それは実在していて、人々に害を与える存在だったのである。それ故にこそ人々は、魔法使いや魔女たちをとらえては、森の中で火あぶりにして、殺したりもしたのである。そうしなければ自分たちが悪魔や魔女の餌食になってしまうからである。

そうであるから、悪魔やその手下の化け物どもも、具象的なイメージによってとらえられてきた。ボスが描いた様々な怪物のイメージは、同時代人たちにとって、極めて生き生きとした、鮮やかな実在性を伴ったイメージなのである。昔の日本人たちにとって、河童や一つ目小僧のイメージが強力な実在性を伴っていたようなものである。

ボスはこのトリプティック(三連祭壇画)を、アタナシウスの「聖アントニウス伝」に記されたエピソードをもとに描いた。「聖アントニウス伝」には悪魔との戦いや自分自身との戦いなど様々な試練が描かれているが、ボスはその中から有名なシーンを選んで各翼に配したのである。

左翼には、悪魔によって空中に放り投げられる場面と気を失って運ばれていく場面が、中央画面では地下墓地での試練が、右翼では女性に化けた悪魔の誘惑が、それぞれ描かれている。

左翼には、同じ画面上に二つのシーンが描かれている。上部には化け物たちによって、空中に放り投げられ、運び去られるアントニウスが描かれている。アントニウスは蛙の化け物の腹の上に乗って、しきりに祈っている。周りには魚の化け物や、ナマズの化け物が飛んでおり、ナマズの背中の船の上には尻を突き出した男が股倉から顔をのぞかせている。

下部には気絶したアントニウスを三人の人物が抱きかかえている。そのうちの二人は僧衣をまとっている。俗服の男はボスの自画像だとする説がある。

中央部には膝まづいた男が空を見上げている。開いた男の股倉は売春宿の入り口になっている。

遠景には海が広がり、船が炎に包まれて沈没するところが描かれている。このほか画面にはいたるところ、グロテスクな化け物がいる。これらは皆悪魔の手下どもなのだ。

(パネルに油彩、131.5×53cm、リスボン国立美術館) 





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