壺齋散人の 美術批評
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病めるバッカス:カラヴァッジオの世界




カラヴァッジオの最も早い時期の作品としては、「病めるバッカス」と「トカゲにかまれた少年」があげられる。どちらも、ローマに出て来てすぐあと、おそらく叔父のとりなしで、プッチという男のもとに寄食していた頃の作品だと思われる。このプッチという男は、教皇シクストゥス五世の姉の家令であったが、非常に吝嗇で、カラヴァッジオを召使としてこき使う一方、ろくなものを食わせてくれなかった。それでカラヴァッジオはプッチのことを、「サラダ殿下」と綽名した。サラダばかり食わされたからである。

「病めるバッカス」は、カラヴァッジオの最初の自画像である。実はこの頃、カラヴァッジオは、おそらく金がないせいでモデルが雇えなかったからだろう、自画像を多く描いたと言われるが、今日伝わっているのはこれだけである。バッカスを気取ったカラヴァッジオが、こちらを向いて媚を売るようなしなを作っている。目の表情は挑発的だ。

それにしても、人物の肌は土の色のようであるし、全体として精彩にかける。「病めるバッカス」というタイトルに引きずられたのだろうか。まるで病人そのものを想起させる。そこで、カラヴァッジオは実際に大病にかかり、これは病み上がりの表情を描いたのだと解釈されもした。あたかも1595年ごろにローマ熱という疫病が流行って、カラヴァッジオは死に損なったことがあった。その際には、プッチの友人コロンナのとりなしで、病院であつい看病を受けて、九死に一生を得た。だが、絵の出来から見て、これはもっと以前の作品だとすべきであり、やはりプッチの家に寄食していた頃の作品であろう。

また、カラヴァッジオは、プッチのもとに寄食していたときに、馬に蹴られたともいわれ、この作品は馬に蹴られた打撃が反映しているのだろうとする見方もあるが、確証はない。

出来栄えには稚拙さが感じられる。果物の描き方にも、精彩がない。やはり最初期の、修業時代の未熟さを反映した作品だというべきだろう。

(1593年頃 カンバスに油彩 67×53㎝ ローマ、ボルゲーゼ美術館)




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