壺齋散人の 美術批評
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洗礼者聖ヨハネの斬首:カラヴァッジオの世界




カラヴァッジオにとって、ナポリは居心地がよかったはずだが、八か月あまりで去り、マルタ島に向かった。目的はマルタ騎士団の騎士になることだった。かれがなぜマルタ騎士団の騎士になりたがったのか、その理由はいろいろ推測されているが、日頃騎士を気取り、それがもとで殺人まで犯したカラヴァッジオには、騎士への強烈なあこがれがあったようだ。なお、マルタ騎士団というのは、十字軍の産物として生まれたものであり、ヨーロッパじゅうの騎士が名声を求めて集まっていた。カラヴァッジオは貴族ではなかったが、画家としての名声が、認められたのだろう、暖かく迎えられた。

マルタ島でカラヴァッジオは、騎士団長アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像はじめ幾つかの作品を求めに応じて描いたが、ハイライトは畢生の大作「洗礼者ヨハネの斬首」である。これはマルタの首都バレッタにあるサン・ジョヴァンニ大聖堂の祭壇を飾るものである。モチーフに洗礼者聖ヨハネを選んだのは、マルタ騎士団の正式名称が「聖ヨハネ騎士団」といい、聖ヨハネを守護者にしているためだろう。

洗礼者聖ヨハネの死は、サロメと一体になって描かれることが多いが、この作品では、聖ヨハネがいままさに首を斬られたところが描かれている。聖ヨハネの血は、キリストのために流されたともいわれ、聖なる血とされる。その生々しい血を描くことで、カラヴァッジオはマルタ騎士団と洗礼者聖ヨハネの強い結びつきを表現したのだと思う。大作が多いカラヴァッジオの作品のなかで、ひときわ巨大な作品である。



これは、首を斬られた聖ヨハネと、そこから流れ出る血を描いた部分。その血を用いるかのようにして、F.MichelAngelと署名している。Fは修道士(フラ)の頭文字、M以下はカラヴァッジオのファースト・ネームである。

なおカラヴァッジオは、この作品を完成させた直後、またもや障害事件を起こし、一旦投獄された後で、脱獄する形でシチリア島に逃げた。その際に、与えられていた騎士の称号をはく奪されたが、本人は死ぬまで騎士を名乗った。

(1608年 カンバスに油彩 361×520㎝ マルタ、サン・ジョヴァンニ大聖堂)




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