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マルク・シャガール:作品の鑑賞と解説


マルク・シャガール(Marc Chagall 1887-1985)は、アンリ・マティスやパブロ・ピカソと並んで、20世紀で最も成功した画家といえる。成功したというのは、比較的若い時期に大家としての名声を確立し、その名声を長い生涯に保ち続けたばかりか、死後においてもなお、世紀を代表する偉大な画家という評価を勝ち取ったという意味である。マルク・シャガールは、画家としては非常に長命と言うべく、98歳まで生きたのであるが、死ぬ直前まで現役の画家として活躍し続けた。ある意味、幸福な生涯だったといえよう。

色々な面でピカソと比較されるシャガールであるが、二人には大きな相違もある。まず画風。ピカソは、少年期の習作の時代を脱した後、青の時代、バラ色の時代、キュビズム等々と画風を変化発展させていったのに対して、シャガールは、ペテルブルグでの修業時代を経てパリに出て来るや、いち早く自分の画風を確立し、その後、その画風を基本的には変えなかった。しかもその画風は、同時代のどの画家とも異なるシャガール独特のものだったのである。

ピカソは、ゲルニカをめぐるエピソードからもわかるとおり、政治にもコミットするなど、闘争的なところがあった。一方、シャガールの方は、政治を表にたてて、攻撃的なスタンスをとるようなことはしなかった(政治的なメッセージを込めた絵はある)。それは、彼がユダヤ人として、迫害される立場にあったことと関わりがあるのだと思われる。彼は、ユダヤ人としての自分のアイデンティティに生涯こだわったのであり、彼の絵には、若い頃から晩年に至るまで、故郷ヴィテブスクで過ごしたユダヤ人集落の思い出が沁みついている。

マルク・シャガールは、ユダヤ人として生きていく基本的な姿勢として、非政治的なスタンスを選んだのだと思う。それでなくてもとかく迫害の対象となったユダヤ人にとって、政治的になることは、迫害の理由を付け加えることになる、と考えたのではないか。政治的なユダヤ人は、徹底的な迫害の対象になりやすかったという厳然とした歴史的根拠があったのである。

ピカソは度々結婚と離婚を繰り返し、そのたびに生まれてくる子どもたちをモデルにして絵を描いた。シャガールも、生涯に三人の女性と結婚・同棲をしており、子どもも二人生まれたが、ピカソのように、その子どもたちを好んで描くということはしなかった。そのかわりにシャガールが描いたのは、最初の妻ベラと、最後の妻ヴァヴァであった。というより、シャガールの画業はほとんど、彼女たちを描くことに費やされたのである。

だから、シャガールの絵を見ると、まるで恋人たちばかりを描いているという印象が伝わってくる。実際、シャガールの絵の中で傑作といわれているものには、自分と妻とを恋人に見たてたものが多いのである。

このサイトでは、そんなマルク・シャガールの絵の中から、恋人たちを描いたものばかりを取り上げて、鑑賞してみたいと思う。そのうえで、適宜解説・批評を加えたい。


ユダヤ人の結婚式:シャガールの恋人たち

婚約者に捧げる:シャガールの恋人たち

私と村:シャガールの恋人たち

アダムとイヴ:シャガールの恋人たち

家畜商人:シャガールの恋人たち

母性:シャガールの恋人たち

誕生日:シャガールの恋人たち

町の上:シャガールの恋人たち

ふたりの肖像とワイングラス

農民の生活:シャガールの恋人たち

雄鶏:シャガールの恋人たち

リラの中の恋人たち

アクロバット:シャガールの恋人たち

エッフェル塔の新郎新婦

三本の蝋燭:シャガールの恋人たち

雄鶏のときの声を聞く

結婚:シャガールの恋人たち

華燭:シャガールの恋人たち

彼女をめぐって:シャガールの恋人たち

パラソルを持った牝牛:シャガールの恋人たち

赤い屋根:シャガールの恋人たち

日曜日:シャガールの恋人たち

マルスの練兵場:シャガールの恋人たち

音楽会:シャガールの恋人たち

雅歌(第四章):シャガールの恋人たち

ダヴィデ:シャガールの恋人たち

ヴァヴァの肖像:シャガールの恋人たち

演奏者たち:シャガールの恋人たち




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