壺齋散人の 美術批評
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誕生日:シャガールの恋人たち




1914年から15年にかけては、シャガールにとって節目の時期になった。1914年の6月に、シャガールは妹の結婚式に参列するために、3か月の観光ビザをとってロシアに入国し、恋人のベラと再会した。ベラとシャガールはどちらもヴィテブスクのユダヤ人だったが、二人が知り合ったのは、成人した後だった。知りあった二人は互いを結婚相手と決めたのだったが、シャガールのパリ行きのために中断されていた。それが、4年ぶりに再会することで、急速に実現に向かって動き出したわけである。

シャガールは、観光ビザが切れたらフランスに戻るつもりだったが、事情がそれを許さなくなった。第一次世界大戦が勃発したためである。ロシア国民は許可なしに外国に行くことを許されなくなった。そのためシャガールは引き続きロシアに留まり続けた。しかし、ベラへの愛情が、その失望を帳消しにしてくれた。

「誕生日」と題したこの絵は、婚約した二人の幸せな様子を描いている。1915年7月7日のシャガールの誕生日に、ベラがさまざまなプレゼントを持ってシャガールの家にやって来た。その時の様子を、ベラが後に回想記に中で描いている。シャガールは、キャンバスを立てると、ベラにその場に動かないでいてと言って、素早く絵を描いた。その絵がこれだというのである。

花束を抱えたベラに、シャガールが口づけしようとしている。シャガールは有頂天になって重力を超越し、ふわふわと舞い上がったまま、ベラの顔に自分の顔を近づけている。彼の両手が見えないのは、おそらくキャンバスの前に残してきたからだろう。こうしている間にも、彼の両手は絵の完成に向けて働いているというわけだ。

絵の中で描かれているテーブルクロスやベッドカバーはベラが買ったものだ。二人の新婚生活に備えたのだという。シャガールはそれらを、実に丁寧に描いている。ベラへの思いがそうせずにはいなかったのだろう。

この誕生日から半年ほど後の7月25日に、二人は正式に結婚した。

(1915年、キャンバスに油彩、80.5×99.5cm、ニューヨーク近代美術館)





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