壺齋散人の 美術批評
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農民の生活:シャガールの恋人たち





1922年の7月にシャガールはロシアを出てヨーロッパに回帰する。これをシャガールは、政治的な理由からではなく、芸術上の理由から行なったのだといっている。おそらく半分はそのとおりなのだろう。しかし半分は政治的な理由が働いていたに違いない。シャガールは、新政府の芸術委員などの公職に就いたりはしたが、ロシアでの生活に安らぎを感じていたわけではなかったようだ。いずれにしてもシャガールはロシアを後にして、まずベルリンに立ち寄り、そこで一年余り暮らした後、パリに着いた。

九年前にパリを出た時、シャガールは多くの作品をラ・リューシュに残してきた。しかしそれらを取りに行くと、殆ど残っていないのだった。略奪されたのである。シャガールの作品はすでに高い評価を受けていたので、高い値段で売れたのである。ともあれシャガールは大きなショックを受けた。

シャガールは、パリ時代の描いた絵を思い出して、それらを復元する絵を新たに描いた。また、新しい作品を描くにあたっては、同じようなものを二枚描くというスタイルをとるようになった。こうしておけば、自分の作品が再び同じような略奪にあっても、保存の可能性が高まると考えたのであろう。

「農民の生活」と題するこの絵は、独立した新たな作品ともいえるが、以前の作品「私と村」のバリエーションといえなくもない。どちらも男と馬とを大写しに描き、背景にはヴィテブスクの村の生活風景を散りばめている。絵の中に動物を入れるというスタイルは、こうして段々とシャガールの大きな特徴となっていくのである。

(1925年、キャンバスに油彩、101×80cm、バッファロー、オルブライト・ノックス画廊)





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