壺齋散人の 美術批評 |
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ミソロンギの廃墟に立つギリシャ:ドラクロアの世界 |
「ミソロンギの廃墟に立つギリシャ(La Grèce sur les ruines de Missolonghi)」は、「キオス島の虐殺」に続き、ギリシャ独立戦争に取材した作品。ミソロンギは、アテネの西方パトラス湾に面した要塞都市で、1821年に独立戦争が勃発して以来、トルコ軍の攻撃の標的となっていたが、1826年の4月に陥落した。この絵は、その直後から制作にとりかかり、その年のうちに完成した。ギリシャ独立戦争に寄せるドラクロアの関心の深さを物語るものだ。 ミソロンギといえば、バイロンが独立戦争に参加する形で、身を寄せていた場所だ。バイロンはここを拠点として、トルコ軍に攻撃を仕掛けるつもりでいた。しかしその思いを遂げることなく、1824年4月に36歳の若さで死んだ。バイロンの心酔者であったドラクロアは、ミソロンギに多大な関心を持つ理由があったわけである。 一人の女性にギリシャを象徴させている寓意画である。廃墟の上に立った女性が、戦争で破壊されたギリシャを象徴している。暗い背景のなかに、トルコ軍兵士が意気揚々と立ち、その前にギリシャの象徴である女性が、瓦礫に身を任せながら、絶望的なまなざしを空中に漂わせている。女性の足元には人間の手が伸びているが、これはバイロンの詩「アビドスの花嫁」の一節からとったものだと言われる。 このギリシャを象徴する女性は、運命の女神テュケーをイメージ化したものとの指摘がある。テュケーはまた、都市の守護神でもあった。そのテュケーが絶望するということは、ギリシャの嘆きの深さをあらわしている。なお、モデルは、当時ドラクロアが気に入っていた女性ロール嬢だという。 ドラクロアの作品は、絵具の退色が激しいと言われるが、この絵も退色が激しい。特に背景部分が、退色の結果事物の輪郭がわからなくなるほどだが、それがかえって、背景と人物とのコントラストを強調する効果をもたらしている。 (1826年 カンバスに油彩 213×142㎝ ボルドー市立美術館) |
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