壺齋散人の 美術批評
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聖母被昇天:エル・グレコの幻想




エル・グレコがスペインに渡ってきたのは1576年のことで、最初に手掛けた仕事はトレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂の祭壇衝立を作る事であった。この祭壇衝立は、当時のトレドの人々の度肝を抜くほど巨大なもので、七面の宗教画と五体の人物像の彫刻、そして建築的な装飾からなっていた。エル・グレコはこのプロジェクトの親方を勤め、自ら七面の絵を描いたが、それ以外は地元の建築家フアン・バウティスタ・モネグロにゆだねた。

衝立の中心部にあるこの「聖母被昇天」は、縦が4メートルもある巨大な画面で、描かれている人物はみな等身大である。両脇にある絵の人物も、衝立の上部に立つ人物像もみな等身大であり、見る人を圧倒する迫力がある。

この絵は、豊かな色彩感覚や構図などに、イタリア絵画の影響が顕著とされる一方、人物のプロポーションをわざと長くしている点など、エル・グレコらしさが表れ始めた最初の作品だとも言われている。

マゼンタ、コバルトブルー、イェローの三原色を大胆に使っている点、上下の面の分割方法などの点で、当時のスペインの祭壇画の伝統から大きく逸脱しており、依頼主の高い評価を受けることはなかったと言われる

この絵には、グレコらしい彩色の技術が見て取れる。特に陰影のつけ方。グレコは陰影の明るい部分を、絵の具に白を混ぜることで表現するのではなく、水彩のように地の白さをいかす方法を用いている。

なお、この絵は、他の三面の絵とともに、サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂の祭壇衝立から取り除かれ、いまはシカゴ美術館にある。そもそもの祭壇には、レプリカが嵌め込まれている。

(1577年、キャンバスに油彩、401×226cm、シカゴ美術館)





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