壺齋散人の 美術批評 |
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かぐわしき日々(Nave Nave Mahana):ゴーギャン、タヒチの夢 |
1897年の4月、タヒチのゴーギャンに悲痛な知らせが届いた。愛娘アリーヌの死を知らせるものだった。愛するものを失い、芸術家としての名声にも見放されたと感じたゴーギャンは、もはや生きる意味を見失い、自殺しようと考えた。しかしその前に、自分がこの世に生きていたあかしとなるような、しかも自分に納得できるような絵を、いわば遺書のようなものとして残したいと思い、自殺をしばらく延期して、最後の気力を絞るように製作にとりかかった。それらの作品は、タヒチの田園とそこに生きる人々をテーマにしたものだった。 「かぐわしき日々(Nave Nave Mahana)」と題するこの絵は、そうしたゴーギャンの意思がこめられた作品である。自殺しようとする人間が、かぐわしき日々に思いを致すとというのは、不自然なことではない。ゴーギャンはこの絵を通じて、自分自身の自然への愛着や人々への敬愛を表現しようとしたのではないか。この時期ほど、傲岸不遜なゴーギャンが謙虚になったことはない。 森のなかの開けた場所で、五人の女性が立ったまま思い思いの仕草をしている。彼女らの足元には、三人の人物が座って作業をしている。そのうちの一人は子どもで、バランスを失するほど小さく描かれている。 右下のゆりのような花は、ゴーギャンの気に入ったらしく、色々なところで出てくる。 色彩は暖色主体だが、他の同種の絵に比べると、けばけばしさが感じられず、落ち着いた雰囲気を演出している。 これは、右側の女性たちの部分を拡大したもの。一歩下がって立ち、赤いドレスと白い髪飾りをつけた女性は、娘のアリーナをイメージしたものだと考えられている。(1897年 カンヴァスに油彩 96×130 リヨン美術館) (この絵は、1896年制作という説もあり、そうだとすれば上記の解釈は無理があるかもしれない) |
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