壺齋散人の 美術批評
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月と大地(Hina Te Fatou):ゴーギャン、タヒチの夢





「月と大地(Hina Te Fatou)」と題するこの絵も、タヒチの神話に題材をとったものである。タヒチの神話は一種の二元論的な世界で、タッアロアが陽=雄で宇宙の生命そのものの原理なのに対して、ヒナは陰=雌で死の原理である。ヒナは月のイメージであらわされるが、それは月の満ち欠けが死を連想するためだと思われる。

神話には、このヒナが大地の神であるテ・ファトゥと会話する話がある。ヒナは人間の生命をつかさどっているのだが、その人間の命が有限で死ぬべき存在であることを悲しみ、自分が死んだ後にかならず生き返るように、人間もまた生き返ることができるようにと、大地の神であるテ・ファトゥに懇願した。大地は、あらゆるものを生き返らせる能力があるので、人間もまたそれにあずかれるようにしたいと思ったからだ。

しかしテ・ファトゥはヒナの願いを無視して、なにも答えなかった。人間は植物と違って、死んだら生き返らない存在だからである。

この絵の中のヒナは、幼な妻のテウラだろう。彼女が語りかけている男は、神にしては非常に肉感的に描かれている。ゴーギャンはテウラが浮気していると疑っていたフシがあるので、この男はその浮気相手をイメージしていたのではないか、と考えられる。

この浮気のことをゴーギャンは「ノアノア」の中で触れている。近隣のマオリ人たちとカヌーで釣りに出かけたとき、ゴーギャンはマグロを二尾も吊り上げた。すると、それを見たマオリ人がクスクス笑った。不思議に思ったゴーギャンがそのわけを聞くと、マグロの下あごに針がかかったときは、妻が他の男と寝ているのだというのだ。

テウラにこの話をすると、テウラはわたしをぶって頂戴と言った。その表情には罪の意識がうかがえた。そこでゴーギャンは、彼女が自分に隠れて浮気をしているのではないかと疑ったのである。この絵にはそんなゴーギャンの疑いが反映されている。



これはヒナとテ・ファトゥの表情を拡大したもの。ヒナの表情には恥じらいが、テ・ファトゥの表情には秘密めいたところが感じられる。そこには、テウラとその浮気相手についての、ゴーギャンの思いが反映されているのだろうと思われる。(1893年 カンヴァスに油彩 114.3×62.2cm ニューヨーク近代美術館)





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