壺齋散人の 美術批評
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魔女の夜宴:ゴヤの黒い絵




聾の家一階食堂の左手の側壁に描かれていたのが「魔女の夜宴」と題する長大な絵(140×438cm)である。魔女たちが夜中に集まって、悪魔の主催する宴会を催すという中世以来の民間伝承を下敷きにしており、ゴヤはこの他にも何枚か同じテーマの絵を描いている。その伝承によれば、悪魔は牡山羊の姿であらわれるということになっている。ゲーテのファウストに出てくる「ワルプルギスの夜」の場面も「魔女の夜宴」のテーマを描いたものだが、「ファウスト」の場合、牡山羊は魔女の乗り物とされている。

黒い衣装に身を包んだ牡山羊姿の悪魔を囲んで、夥しい数の魔女が集まっている。悪魔は何やら演説をしているように見えるが、それをまともに聞いている魔女はほとんどいない。牡山羊のすぐ右手にいる魔女は、あきれたような顔つきで悪魔を見ているし、そのやや右側に見える大きな図体の魔女は、中腰になって身を乗り出し、悪魔に向って何ごとか叫んでいる。その魔女の顔を見つめている中程の白い衣装の魔女は、脚がないように見えるところから、ボスの得意としたグリッロを思わせる。グリッロとは、頭部から直接足が生えた胴なし人間のことである。一方、悪魔のすぐ左手にうずくまっている魔女は、悪魔の演説などどこ吹く風といった様子だ。

この絵がいったい何を表現しているのかについて、古来色々な解釈がなされてきた。異端審問所の手先が接近しているのをかぎつけて、魔女たちの間に動揺が広がっているのだとか、明け方の到来を告げる鶏の声を聞いて、魔女たちがざわめき始めているとかいったものだ。魔女の宴会は、暁と共に終わることとされていたのである。

画面右端に腰かけている魔女は、新来の魔女で、これは彼女のための新任式なのだとする解釈もある。また、この魔女はレウカディアだとする解釈もある。後者の解釈の方が、支持が多い。もしそうだとすれば、この絵の中の牡山羊は、悪魔ではなくゴヤその人で、彼が語りかけているのは妻のレウカディアだということになる。そう言われれば、牡山羊はもっぱら右端の魔女に語りかけているようにも見える。こう解釈すれば、ほかの魔女たちはさしみのツマと言うことになる。

なお、牡山羊を意味するスペイン語の Cabron には、寝取られ亭主とか、馬鹿者と言う意味もあるという。





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