壺齋散人の 美術批評
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貪欲な聖職者たち:ゴヤの版画



(かっかしている)

版画集「きまぐれ」の中でゴヤがこだわったテーマの一つに聖職者への批判がある。聖職者は、欺瞞と貪欲の権化として描かれることが多いが、なかでも修道士がその最たるものとされる。

「かっかしている」と題されたこの絵には、文字通り欲でかっかとのぼせあがった修道士たちが描かれている。テーブルの上の皿を囲んで三人の修道士が、なにやら口論しているようにみえるが、手前の修道士は右手をさしのばして卑猥な仕草をし、右手の修道士はそれを、やはり卑猥な目つきで眺め、真ん中の修道士はスプーンを振りかざして空腹を訴えている。その訴えに応えるかのように、背後からは料理を盛った皿を、召使らしい男が運んでくる。

この作品のための下書きが二枚残されていて、そのうちの一枚には、皿の上に人間の頭が載っており、次の一枚には、手前の修道士の鼻が男根の形をしているという。完成作品では、そこまでの露骨さは見られないが、修道士たちの卑猥さと貪欲さは十分伝わってくる。


(何たる犠牲か)

これは、意に満たない結婚をさせられた女を描いたものだ。左手にいる、背中と脚の曲がった醜い男が花婿だ。花嫁の方は、その醜い顔を見たくないとでもいうように顔をそむけている。新郎新婦の後ろには、花嫁の両親と思われる男女がいて、母親らしい女は、娘の不幸に同情して嘆き顔を見せている。

この絵のポイントは、この結婚の仲立ちをする司祭だ。ある注釈には、「このような婚礼の介添えをする司祭には不自由しない」と書かれているという。





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