壺齋散人の 美術批評
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魔女たち:ゴヤの版画



(修行)

魔女たちは、ゴヤの版画を彩るアンチ・ヒロインである。アンチ・ヒロインというのは、彼女らには恐怖よりも滑稽のほうが似合っているからだ。ゴヤの版画に出てくる魔女たちは、どことなく憎めないところがある。これは、ゴヤの時代にはまだ魔女の存在を人々が強く信じており、しかもそれが恐怖の対象であったことを考えると興味深いことだ。

この絵では、巨大なヤギの怪物の前で、一人の女がもう一人の男を相手に何かやっているところだ。この絵の習作のための覚書には、新米の魔女たちによる飛行訓練とあるから、この二人は飛行訓練をしているのかもしれない。だが、覚書とは違って、二人のうち一人は男である。その男がバランスを失いながら浮かんでいるところを、女のほうが介助しているようにも見える。もしこれが飛行訓練なら、魔女が男に訓練を施しているということになる。

背後の巨大なヤギが何を意味しているのか、よくはわからない。このヤギは魔女たちの妖術訓練の主催者だとする見解もあるが、なぜヤギが魔女の妖術訓練を主催するのか、その根拠がはっきりしない。(ゴヤは後年、黒い絵の中の「魔女の夜宴」にも、ヤギの姿をした化け物を、夜宴の主催者のような位置づけで描いている)

手前に描かれている二匹の小さな猫は、愛嬌だろうか。

(一体、誰が信じるだろうか)

これは、二人の魔女の争いを描いたものだ。一人がもう一人の上に馬乗りになり、相手の首を突いている。乗られたほうは下から手を伸ばして相手の髪を掴んでいる。その様子からは、争いのすさまじさが伝わってくる。

魔女が喧嘩をしてお互いを傷つけあう必然性は見当たらないから、これは人間同士の争いの隠喩だとする解釈も成り立つ。それが妥当なら、これは権力者同士のいがみ合いを皮肉っぽく描いたものだという解釈も成り立ちうる。

二人が喧嘩している場所は、堅固な地面の上ではなく、どうも空中のようだ。二人が空中をそのまま落下していかないように、別の善良そうな怪物が、両手で支えようとしている。この二人は、自分たちに共通する危険に気が付かず、目の前にある違いにめくじらをたてている、というわけだ。





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