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戦うアレクサンドロス:ヘレニズム美術




紀元前四世紀の後半に、マケドニアからアレクサンドロスが登場して、宿敵ペルシャを破ったほか、西アジアから北アフリカ一帯を征服して、ギリシャを中核とした王朝を創出した。アレクサンドロス自身は、若くして死んだが、かれが死んだ後も、かれの遺産としてのギリシャ風王朝は各地に残り、そこに、ギリシャ風の分化が花開いた。この文化を、ヘレニスティック文化あるいはヘレニズムと呼んでいる。ヘレニズムの文化は、紀元前31年に、ローマによってギリシャが属州に組み込まれるまで続いた。

ヘレニズムの特徴は、ギリシャ文化を中核としながらも、各地の分化を横断する、いわゆるコスモポリタンな性格にあった。これは、哲学から美術にいたるまで、あらゆる部面で見られる。

上の写真は、小アジアのシドンから出土した「アレクサンドロスの石棺」に施されたレリーフ。馬にまたがったアレクサンドロスが、勇敢に戦う様子が表現されている。(イスタンブール考古博物館)



これは、同じく「戦うアレクサンドロス」を描いたモザイク壁画。イッソスの戦いを描いたこの壁画は、ポンペイから出土した。(ナポリ考古学博物館)




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