壺齋散人の 美術批評
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希望Ⅰ(Die HoffnungⅠ):クリムトのエロス





臨月の妊婦の裸体を真横から描いたこの絵は、発表当時、やはりすさまじい反響を巻きおこした。無論拒絶的な反響であり、スキャンダラスな騒ぎといってもよいものだった。あまりにもエロティックで、猥褻だという反応が強かったのだ。たしかに猥褻かもしれない。女性の裸体とか、妊娠した腹とかは、それ自体では猥褻ではないが、ある文脈の中におかれると、俄然猥褻な印象をあたえるものだ。クリムトのこの絵も、そのような猥褻さをかもしだすようなものだったと言えよう。

パンパンに膨らんだ腹を突き出すようにして、妊婦が横向きに立っており、両手を胸元で組んでいる。彼女の顔はこちら側を向いており、まるで観客に何かを語りかけているように見える。彼女が自分の裸体を恥らっていないことは、自信に満ちた目や、突き出た腹の下の陰毛を隠さないところから判る。生命を腹の中に宿すことは、恥らうべきことなのではなく、むしろともに喜ぶべきことなのだ。だから観客のあなたにも、私の腹の中に宿った命を、ともに祝福して欲しい、と訴えているともとれなくはない。

ところが当時の観客の大部分はそうは受け取らなかった。かえって猥褻さで挑発されているように感じたわけだ。この絵がすさまじいスキャンダルをもたらし、しばらくのあいだ公衆の目から遠ざかる運命を担ったことは、そうした当時の観客のネガティブな反応に根ざしていたわけだ。

妊婦は、暗黒の中に立っているかのように見えるが、この暗黒は海をイメージしているのだろう。海はあらゆる生物の母胎とも言えるものだ。その暗黒の中に、光のあたった部分が浮かび上がっているが、そこには精子を思わせる形のものが無数に遊泳している。その一部は妊婦の腹めがけて突進しているかのようだ。

妊婦の頭上には、死や病気のメタファーである様々なイメージが浮かんでいる。これは、あらゆる生命は既にして死を宿している、というクリムトなりの考え方を表象しているのか。



これは妊婦の顔の部分を拡大したもの。妊婦の赤い髪には、生命の象徴である花の飾りが見えるが、その背後には死の象徴であるシャレコウベと、病気を象徴するような形象が見える。

なお、この絵のモデルはマリー・ツィマーマン。彼女はクリムトとの間に二人の子を生んでいる。この絵の腹の中にいる子どももクリムトの子だと思われる。クリムトにはモデルを妊娠させる癖があり、生涯に十四人もの私生児を生ませたと言われる。

(1903年 カンヴァスに油彩 181×67cm オタワ カナダ・ナショナル・ギャラリー)





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