壺齋散人の 美術批評
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オランピア:マネ





1865年のサロンに送られた「オランピア」は、「草上の昼食」以上に激しい罵倒を浴びた。批評家の誰一人としてこの絵を評価するものはなかった。これは芸術ではなく卑猥な見世物だという侮蔑の言葉が一斉に浴びせかけられたのである。この絵のどこがそんなに卑猥なのか。現代の鑑賞者になかなか理解できないが、当時の批評家には、こんな絵を公衆の眼にさらすのは許しがたい蛮行と映ったのだ。

同じような構図の絵は前例がなかったわけではない。たとえばティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」とかゴヤの「裸のマヤ」だ。だがそれらは卑猥とは受け取られなかった。「草上の昼食」のモデルとなった「田園の奏楽」が卑猥とは見なされなかったのと同じだ。それら先行する作品が神話的あるいは想像の上での世界を描いているのに対して、マネの作品は現実の世界を描いているということが、批評家たちの神経を刺激したのだ。女の裸体は想像の世界で思い描いてもよいが、またその想像をイメージ化しても許されるが、現実の世界に生きている女の裸体を公衆の面前にさらすことは許されない行為なのだ。

この絵が露骨なエロティシズムを目的にした卑猥なものだと受け取られたについては、この絵にそうした想念を挑発するような要素が認められるのも事実だ。裸の女を黒人の女がエスコートするのは淫売窟の慣行を思い出させたし、「ウルビーノのヴィーナス」の犬に変えて黒猫を持ってきたのは、女陰を連想させる。猫は女陰の隠語として使われていたのである。

ボードレールはこの絵にインスピレーションを得て、自分が一匹の猫となって巨大な女の裸体に戯れるという内容の詩(女巨人)を書いた。また、エミール・ゾラは、この絵は率直な気持ちから描かれたのであって、そこには卑猥な意図は含まれていないと、マネを擁護した。マネに好意的だったのは、美術関係者ではなく、作家や詩人たちだったのである。

なお、オランピアのモデルはヴィクトリーヌ・ムーランである。

(1863年 カンバスに油彩 130×190㎝ パリ、オルセー美術館)




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