壺齋散人の 美術批評
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ベルト・モリゾー:マネ






マネはベルト・モリゾーにマドリードに行くことを勧めた。マドリードの美術館は当時世界一のコレクションを誇っており、絵の勉強にはすばらしい機会を提供してくれたのである。しかもマネは自分の親しい友人であるザカリー・アストリュックを、彼女のエスコート役としてつけてやった。そんなわけで、プロの画家を目指していたベルトは、心おきなく絵の勉強に打ち込めたといって、マネに感謝した。

この絵は、ベルトがマドリードからパリに戻った直後に描かれた。黒づくめの衣装でエクゾティックな雰囲気を強調しているところは、ゴヤを意識したのだと考えられる。しかし、この絵はゴヤ以上に黒を有効に使っている。画面がわざと平板にされているだけに、その効果は圧倒的である。

この黒の使い方について、詩人のポール・ヴァレリーが次のように批評している。「なによりもまず『黒』、喪の帽子の黒、ピンクの光沢のある栗色の髪がもつれるこの小さな帽子のあごひもの黒が私をとらえた・・・これら黒の絶対的な力強さ、背景の簡素な冷たさ、あるいはバラ色の明るさ・・・髪やあごひもやリボンの乱れが、髪をとりまいている。あいまいに固定された大きな瞳は、激しい放心状態にあり、いわば『不在の存在』の様相を呈している」(遠藤ゆかり訳)

ヴァレリーはベルト・モリゾーの姪と結婚した。ベルト・モリゾーはマネの弟のウジェーヌと結婚したので、ヴァレリーにとってはマネも義理の兄にあたっていた。そんなわけでヴァレリーはマネの作品に親しんでいたが、マネに直接会ったことはなかった。

(1872年 カンバスに油彩 55×38 個人コレクション)




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