壺齋散人の 美術批評
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草上の昼食:クロード・モネの出発点




クロード・モネが、彼の画業の出発点ともいうべき「草上の昼食(Le déjeuner sur l'herbe)」を描いたのは、1865年、二十代半ばのことだった。彼はこの絵を、恋人のカミーユと友人のバジールとともに出かけたフォンテンブローの森で、彼らをモデルにした下絵を描いたうえで、それをパリのアトリエで完成させようとした。できたら翌年の官展に出展するつもりだった。しかし完成を途中であきらめてしまった。理由は定かではない。もし完成していたら、4.6×6.0メートルという途方もない大きさになるはずだった。しかし遺された未完成品は、その部分図が二点であった。

これは中央部分。人物はみな等身大に描かれている。多くの男女が見られるが、これらのモデルになったのは、カミーユとバジールの二人である。ただ、画面左手の髭を生やした男は、後にクールベをモデルにして描きなおしたものだ。そのクールベに褒めてもらおうと思っていたモネは、かえって否定的な評価の言葉を貰ったことで自信をなくしたという。そのことが、モネがこの絵の完成を放棄させた一因とも言われている。



これは、左側の部分。右手の女性は、中央部分の女性に接続している。それからすると、この絵の縦の長さと中央部分の縦の長さはかなりの差があり。これらが一つの絵を単純に切り取ったのではないことがわかる。



これは、絵全体の構造を表現した習作。モネはこの絵柄をもとにして、絵全体を完成させるつもりだったようだ。クールベをモデルにした髭の男など、一部にこの習作とは異なる仕上げがみられる。

この絵は未完成に終わったこともあり、世間の評判になることはなかったが、モネは生涯この絵に拘っていたようだ。経済的に窮迫した時に、彼はこの絵を売らざるをえなくなったが、後年経済状態が改善すると、買い戻している。その折には、いたるところカビが生えて、まずい状態になっていた。

ともあれ、この絵を見ると、モネの生涯のこだわりである光の氾濫が認められる。光こそがモネの絵の生命であることを、この絵からは感じ取ることができる。

(1865年 カンバスに油彩 左部分418×150㎝ 中央部分248×217㎝ オルセー美術館)





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