壺齋散人の 美術批評
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ヴィトコフの戦闘の後:ミュシャのスラヴ叙事詩



(ヴィトコフの戦闘の後)

「ヴィトコフの戦闘の後」と題したこの作品も、フス戦争の一コマに取材したもの。1420年に、カトリック教会が組織した十字軍約10万名を、フス派の農民軍が、プラハ郊外のヴィトコフに迎え撃ち、撃退した戦いを描いている。もっとも、戦いそのものではなく、闘いが終わったあとの戦場の寒々とした様子を描いている。

フス派の軍を率いていたのは、独眼竜として有名なヤン・ジシュカ。この絵のなかでは、右手に立っているのがジシュカである。その前に立って彼を祝福しているのは、フス派の僧侶、その周りには、おびただしい数の戦死者の遺体が散らばっている。

空は黒い雲に覆われ、全体に暗い画面になっているのは、そこに死が充満していることをアピールしているのだろう。なお、ヴィトコフの丘は、ヤン・ジシュカにちなんで、いまはジシュカの丘と呼ばれているそうだ。

(1916年 カンバスにテンペラ 405×480㎝ プラハ、ヴェルツルジニー宮殿)


(ヴォドナニーのペトル・ヘルチツキー)

「 ヴォドナニーのペトル・ヘルチツキー」と題するこの絵もやはり、フス戦争における一コマをモチーフにしたもの。改革派の旗手だったぺトル・ヘルチツキーは、最初は急進主義者だったが、次第に戦争は悪だと考えるようになり、絶対平和主義をとなえるようになる。そんなヘルチツキーの故郷ヴォドナニーに、反フス派が攻撃を加え、町のフス派住民を殺害した。

この絵は、闘いが終わって、死体が散らばる戦場を、平和主義者のヘルチツキーが見舞うシーンを描く。ヘツチツキーは、画面ほぼ中央で、死者に冥福を祈る姿で描かれている。

暗雲が垂れ込めた空に、幾筋かの煙が立ち上っているが、これは焼かれた建物から出た煙であろう。地面に横たわっている人間の多くは、焼け出された難民のようである。

(1918年 カンバスにテンペラ 405×620㎝ プラハ、ヴェルトィルジニー宮殿)


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