壺齋散人の 美術批評
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フス教徒の国王イージー・ポジェブラディ:ミュシャのスラヴ叙事詩



(フス教徒の国王イージー・ポジェブラディ)

イージー・ポジェブラディは、一介のフス派指導者から成りあがって、ボヘミア国王になった人物だ。それも身分制議会の満場一致の決議で国王に選出された。1458年のことである。当時ボヘミアにはローマカトリックへの忠誠派とフス派の独立派が併存していたが、イージーはこの両勢力の均衡の上に立って巧みな統治をおこなった。

この均衡は、ローマカトリック側が、イージーにカトリックへの帰依を強要することで終わった。ローマ教皇はボヘミアに使者を遣わし、ボヘミアがカトリックに帰依することを居丈高に要求した。それをイージーは突っぱねた。ボヘミアのことはボヘミア人が自由に決定すると答えたのである。

絵はその折の様子をイメージ化したもの。画面中央やや左手に、赤い法衣を着たカトリックの使者が立ち、その前方には、画面右手にイージーの姿が見える。まわりを取り囲む人々は、ことの成り行きを、息を凝らしてうかがっている。



これは、画面右手前にいいる人物。かれが抱えている書物には、「ローマの終焉」と書かれているそうだ。

(1923年 カンバスにテンペラ 405×480㎝ プラハ、ヴェルトゥルジニー宮殿)


(クロアチアの司令官によるシゲットの防衛)

16世紀にはオスマントルコの軍がたびたびバルカン半島に攻め入った。1566年には、ハンガリー平野の深くまで侵入。それに対してスラヴ側は、クロアチアの貴族ブリンスキーが反撃した。両軍はハンガリー平野のシゲットの町をめぐる攻防を繰り広げ、ブリンスキーは戦死した。

シゲットの町には戦略的な重要性があったので、スラヴ側は必死に防衛した。その折に、ブリンスキーの妻エヴァが、攻め寄せるトルコ軍に火を浴びせ、撃退に成功した。

絵は、エヴァが右手の壇上に立って両手を広げ、兵士たちを鼓舞するさまを描いている。スラヴ版ジャンヌ・ダルクといったところか。

(1914年 カンバスにテンペラ 610×810㎝ プラハ、ヴェルトゥルジニー宮殿)


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