壺齋散人の 美術批評
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トゥルプ博士の解剖学講義:レンブラント




1631年に、レンブラントはアムステルダムに移り住み、彼の才能に惚れ込んでいた画商アイレンボルフの家に居候した。そのアイレンボルフは、レンブラントのために仕事の注文をとってきたのであるが、そのなかで外科医組合からの集団肖像画の注文があった。その注文を受けて描いた作品「トゥルプ博士の解剖学講義」は、レンブラントの世界的名声を確立することになった。

レンブラントがこの作品を描く以前から、集団肖像画は一世紀に渡る伝統をもっていた。レンブラントはその伝統を受け継ぎながら、自分なりの新しい要素を付与しようと考えた。従来の伝統的な肖像画は、みな一様のポーズをとって、しかもほとんど動きのないものだったが、レンブラントはそこにドラマ性を持ち込んだのである。すなわち、人々はそれぞれ異なった姿勢をとり、しかも動きを感じさせる。その動きは一つの物語を感じさせる、というような工夫である。

この絵を見ると、死体にメスを入れる人物がトゥルプ博士で、自分の仕事ぶりを誇るかのように、皆のほうを一瞥している。そのほかの七人は、外科医組合の人びとなのだろう、思い思いに解剖の様子を見ている。身を乗り出して解剖の様子を見つめるものもあれば、こちら側に視線を向けて、なにかを気に掛ける者もいる。それぞれ自分なりの動きを示している。

トゥルプ博士は、有名な外科医であり、またアムステルダムの市長に二度選ばれたほどの人物であった。かれを取り巻くほかの人物たちも、町の名士たちばかり。かれらに気に入ってもらえれば、レンブラントの画家としての名声は高まるはずなのだ。実際その通りになった。この絵は外科医組合の会館に飾られ、大勢の人に見てもらった。その評判が広がって、レンブラントは名声を博したのである。


これは解剖の部分を拡大したもの。死体の左腕が切り開かれ、腱が露出している。その腱を博士の鉗子が挟み、皆に見やすいように持ち上げている。その博士の表情は得意満面といった様子だ。

(1632年 カンバスに油彩 162.5×218.5㎝ ハーグ、マウリッツハイス美術館)





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