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シャルパンティエ夫人と子どもたち:ルノワールの世界




ルノワールは、第三回目の印象派展を最後に、セザンヌやシスレーとともに、印象派展への出典を取りやめ、再びサロンに出展するようになった。当時の取り決めで、両方とも出展するわけにはいかなかったのである。そのサロンには、1879年に「シャルパンティ夫人と子どもたち(Madame Georges Charpentier et ses enfants)」を出展して、みごと入選した。それが彼に、画家としての名声と、将来への見通しをもたらした。ルノワールは、あのやかましかった美術批評家たちの支持を取り付けたのである。

シャルパンティエ夫人は、出版事業者ジョルジュ・シャルパンティエの妻。ジョルジュはフローベール、ドーデ、ゾラといった人気作家たちの作品を出版していた。彼の家は、文芸サロンのような体裁となり、多くの文学者や芸術家が集まっていた。ルノワールは、1876年に夫人の肖像画を描いたことがきっかけで、そのサロンへの出入りを許されていたようである。そうした縁で、この大作を描いたわけである。

自宅でくつろぐシャルパンティエ夫人と二人の子どもたち。二人とも少女に見えるが、実は右側の椅子に座っている子は、弟のポールなのである。そのポールに女装させたのが誰の意思によるものなのか。ルノワール自身は、この作品に言及した際に、夫人と二人の娘という言い方をしているから、二人とも少女だと思っていたフシがある。実際絵の中のポールは、女の子にしか見えない。

この絵は大変な評判となった。それにはシャルパンティエ夫人の各方面への働きかけがあったともいわれている。いずれにしてもルノアールは、この作品によって、当代を代表する画家の仲間入りをすることになったのである。

小説家のプルーストはシャルパンティエ夫人のサロンに出入りしており、小説の中でもその様子に触れているくらいなのだが、「見だされた時」という作品の中でこの絵に触れ、ティツィアーノの最高傑作に匹敵すると言って褒めている。

(1878年 カンバスに油彩 154×190㎝ ニューヨーク、メトロポリタン美術館)




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