壺齋散人の 美術批評
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ブレダの開城:ベラスケスの世界




マドリード市街の東にレティーロ公園がある。これはスペイン王室の離宮として16世紀に造営されたものだ(レティーロとは離宮というような意味)。いまでは広々とした公園になっているが、かつては豪壮な建物がつらなっていた。1632年に着工し、最終的な形になったのは1640年である。中心となる建物は1635年には完成した。そこに、建物内部を装飾する目的で、膨大な芸術作品が集められた。絵画だけでも800点に上るという。

レティーロは、離宮として、娯楽と休息の空間であったが、唯一政治的な空間があった。「諸王国のサロン」と呼ばれるものである。ここには、政治的な雰囲気に相応しい作品が装飾用に飾られた。ベラスケスの中期の傑作「ブレダの開城」はそうしたものの一つである。

ブレダの開城とは、三十年戦争の一コマ。スペイン軍がオランダとの戦いに勝利した際の記念すべき出来事だ。フェリペ四世にとっては、自分の統治時代を象徴するような輝かしい出来事であった。それをテーマにした作品を、お気に入りのベラスケスに描かせたのである。「諸王国のサロン」には、ほかにもフェリペ四世の統治を讃える作品が集められ、壁を飾ったという。

ブレダは、ブリュッセルとアムステルダムをつなぐ交通の要地であり、難航不落の城塞都市として知られ、戦争遂行にとって要となるところであった。ここをスペイン軍は1624年9月から包囲を始め、9か月後に陥落させた。ブレダ会場は、その陥落の様子をテーマにしたものである。

構図は、左側にオランダ軍を、右側にスペイン軍を配し、オランダの将軍ナッサウがスペインの将軍スピノラに城門の鍵を手渡すところを描いている。この降伏は名誉ある撤退と呼ばれ、オランダ軍は名誉を保ったまま撤退したという。画面に見る限りでも、オランダ側の人びとは余裕ある表情をしており、スペイン軍も紳士的である。

(1635年 カンバスに油彩 307×367㎝ マドリード、プラド美術館)




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