壺齋散人の 美術批評
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水差しを持つ女:フェルメールの女性たち





「水差しを持つ女」は、構図的には「牛乳を注ぐ女」とよく似ている。女性の単身像であること、どちらも窓辺で家事にいそしんでいる女性の姿を捉えているところに共通点がある。相違と言えば、「牛乳を注ぐ女」が、自分の仕事に没頭しているのに対して、こちらの絵の中の女性は、水差しを持ったまま顔を窓のほうへ向け、仕事とは関係のない別のものに関心を取られているところだ。

制作年代については、「牛乳を注ぐ女」のほうが先で、こちらはそれより五年程後に製作されたと考えられる。だから表面的な類似性にかかわらず、フェルメールとしてはこの二つの作品に有意的な関連を認めたわけではないと思う。

「牛乳を注ぐ女」は、服装や女の雰囲気から女中だと推測される。それに対して「水差しを持つ女」は女中ではなく、おそらく一家の主婦だと思われる。フードやレースの襟飾り、腰のくびれたドレスなどから、ある程度の身分の女性だとわかるからである。

女は左手で水差しを持ち、右手で窓枠を持ちながら、その窓枠の方向をじっと見つめている。その表情からは、水差しのことはまったく忘れて、かといって窓枠の模様に興味を感じているわけでもなく、なにか別のこと、たとえば窓の外の愛人の様子に気をとられているようなふうにも見える。ボーっとしているというよりも、何かに注意を向けているような表情に見えるのである。

手前のテーブルの上の織物は、「音楽の稽古」の中のそれを思い出させる。だがよく見ると、模様は微妙に違うようだし、質感も異なって見える。「音楽」よりもこちらのほうが、あっさりとした感じに見えるのである。

この絵でも、左側の窓からの光を光源として、女性とその周囲を明るく浮かびあがらせる手法をとっているが、これはフェルメールおなじみのやり方である。ただ陰影のコントラストは、「牛乳」のそれよりも穏やかになっている。

水差しとそれを受ける皿は金属製で、その地肌には織物の色が反射している。織物の赤い色彩は、女のスカートにも施されており、フェルメールが色の調和に拘っていることを感じさせる。

左手の壁にかけられた地図は、フェルメールの絵におなじみの小道具だ。この地図が、「牛乳」でも一度描かれたあと塗りつぶされたことについては、前述したとおりである。


これは、女の部分を拡大したもの。白いフードやレースの襟飾りの透明感を強調している。影の描き方は、光との関係や、服装の下地との関係が考慮され、淡い部分と思い切り濃い部分とに描き分けられている。(カンヴァスに油彩 45.7×40.6cm ニューヨーク、メトロポリタン美術館)





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