壺齋散人の 美術批評
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学校のロバ:ブリューゲルの版画




「学校のロバ」と題するこの作品は、「大きい魚は小さい魚を食う」とほぼ同時期に描かれたが、わざわざ「創案者・ブリューゲル」と明記しているところを見ると、ブリューゲルの特別な思い入れがあったとも考えられる。実際この絵の中で描かれている人間たちは、ボスの絵のように悪意に満ちた表情ではなく、どこか憎めないユーモラスな表情をしている点で、後年のブリューゲル独自の世界を思わせる。

「学校のロバ」というテーマは、「ロバはロバであって馬にはなれない」ということわざを踏まえたものだ。学校でいくら学んでも、愚かな子は利口にはなれないと、いいたいのだろうか。

そのロバは、画面左手の窓から部屋の中に首を出して、なにやら書き物を読んでいる。それはどうやら音楽の譜面のようで、ロバが馬の泣き方を訓練していることを暗示している。かたわらにはメガネが使われないままに置かれているから、ロバが真剣でないことをいいたいのだろう。

教室の中には、一人の教師を囲んで大勢の子供たちがいる。教師は一人の子供の尻をむきだしにさせて、それを叩こうとしているが、肝心の枝鞭が帽子にさしたままだ、またもう一本の枝鞭も離れたところにある壺に刺したままだ。教師は素手でたたこうとするが、子供の尻より帽子から垂れ下がった布の方に気を取られているようだ。なにもかも不首尾で、これではまともな教師とはいえない。そんな教師のことであるから、子供たちは銘々に、思い通りのことをしている。

教師の背後にいる子供は、頭に駕籠を載せてアカンベーをしている、教師の左隣にはヨガのようなポーズをとった子供が両足の合間から教科書を突き出している、その隣には大きな帽子の下で二人の子供が戯れている、これは「一つのフードに二人の阿呆」つまり「愚かな行為は仲間を呼び寄せる」ということを物語っている。

前景には、いまにも駕籠からずりおちそうな子供や、駕籠の中から尻を突き出している子供、大きな書物を手に取っている子供などが描かれているが、興味深いのは、どの子どもの表情も、いわゆる子供らしくないことだ。

ブリューゲルの時代の人々は、子供を子供として扱うことはしなかったと考えられる、彼らはできそこないの小さな大人として扱われていたのだ。

そんな彼らを、格子窓越しに覗いているのは大人の女性だ。大人の女性は、できそこないの小さな人間が繰り広げる愚行を、冷ややかに見つめているのでもあろうか。





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