壺齋散人の 美術批評
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アダムとイブ:デューラーの銅版画




デューラーの1504年の銅版画「アダムとイブ」は、彼の人体比例研究の成果の中でも、もっともすぐれた作品だとされている。この作品の構図は、男女の身体のプロポーションが理想的な形で表現される一方、彼らの身体を前面に浮かび上がらせるための、技法上の工夫もなされている。

デューラーはこの絵の中の男女のモデルを、彼の同時代人たちの中にではなく、太古のローマ彫刻に求めた。アダムについては、紀元前330年頃に作られた「ベルヴェデールのアポロ」、イブについては、やはり紀元前4世紀の作者不明の彫刻「メディチ家のヴィーナス」である。デューラーはこれらの彫刻のポーズを変えながらも、それらの身体比率は忠実に再現したうえで、別々にではなくひとつの画面の上で表現したのだった。

しかもデューラーは、これらの男女の肉体の彫刻的な立体感を再現するために、工夫をしている。まず背景を暗くして人体を前面に浮かび上がらせること、そして一方から光をあてることで人体に陰影をつけ、それによって立体感を演出しようとしたことである。

裸の男女を同じ画面に並べることは、ともすればエロティックな効果をもたらすものだが、この画面からは、そうしたエロティシズムは伝わってこない。その秘密は背景の描き方にある。

それを指摘したのは、パノフスキーであると、越宏一氏は言っている(デューラーの芸術)。パノフスキーは背景に描かれている4匹の動物たちに着目し、それらがデューラーの同時代人にとって持っていた象徴的な意味合いを強調しているという。つまり、これらの4匹の動物は、人間の四つの気質の隠喩と考えられており、大鹿が憂鬱質、うさぎが多血質、猫が胆汁質、牡牛が粘液質をあらわしていた。個々の人間は、これらの気質のいづれかに傾きがちであるが、これらすべてが調和して配合されると、人体には完璧なつり合いがもたらされる、と考えられていた。しかし実際にはそうはならず、「これらの本来の均衡が崩れたからこそ、人間の肉体は病気や死を免れなくなり、人間の精神は悪徳を受け入れるようになった」(越「デューラー芸術」125ページ)というのである。

つまりデューラーは、人間の身体を美しさといった観点からばかりではなく、そこに込められた世界観のようなものからも解釈しなおしていたわけなのである。デューラーの歴史的な制約は、こんなところにも影を落としているといえよう。

(1504年、銅版画、24.8×19.0cm)





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