壺齋散人の 美術批評 |
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アダムとイブ:デューラーの油彩画 |
イタリア旅行から帰ってすぐ、デューラーはアダムとイブをテーマとした一対の巨大な裸体画を描いた。同じテーマの1504年の銅版画では、アダムとイブは同じ画面に横並びに描かれていたが、今回はそれぞれ違ったパネルに描かれた。絵のサイズはほとんど同じである。いづれも等身大の男女の裸体像が描かれている。 銅版画の「アダムとイブ」とこの油彩画を比較すると、様々な相違点のあることがわかる。コンパクトな銅版画と巨大な板絵、モノカラーと色彩豊かな油彩画といった形式上の当たり前の相違の外に、構図や雰囲気と言ったものにも相違を認めることが出来る。 銅版画のアダムとイブは、ややぎこちない姿勢なのに対して、この絵の中のアダムとイブはのびのびとした雰囲気に描かれている。銅版画にはドイツ的な堅いイメージがまとわりついているのに対し、この絵にはイタリア的な明るさが溢れているからだろう。とはいっても、人物の雰囲気は完全にイタリア的というわけでもない、イタリアの画家は女性のプロポーションを、こんな風には表現しない。彼等ならもっと柔らかく、ふっくらと見えるように工夫するに違いない。そういう点では、この絵の中の男女は、やはりゲルマン的だといえそうだ。 銅版画との共通点もないわけではない。最も大きな共通点は、どちらも暗い背景から浮き上がるように描かれていることだ。もっとも、銅版画の背景が単に暗いだけでなく、森や動物と言ったものを含んでいたのに対して、この絵では、背景は暗い色彩で塗りつぶされてはいる。 この絵は当初、プラハ城主ルドルフ二世の所有になったが、その後スウェーデン王の手に渡り、1654年にスウェーデン王室からスペイン王室に寄贈された。この絵が現在マドリードにあるのは、そうした背景によるのである。 (1507年、板に油彩、209×80/81cm、マドリード、プラド美術館) |
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