壺齋散人の 美術批評
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飢えたライオン:アンリ・ルソーの世界




フランスの美術界は、長いあいだ官選の展示会であるサロンが牛耳っていたが、その保守性を批判する芸術家たちが、サロンに対抗する形であらたな展示会を1903年に作った。春のサロンに対して、秋に行われたことから、サロン・ドートンヌと呼ばれるようになった。

アンリ・ルソーは、1905年の第三回展示会に出品し、以後アンデパンダン展とならんで出店し続けた。この展示会は、アンデパンダンの非審査とは異なり、審査制であったので、高い評価を受けることが必要だった。ルソーはその評価にパスして出展を続けることができたわけで、芸術家としての名声が高まりつつあったことを思わせる。

サロン・ドートンヌには、異国趣味の絵を出し続けた。1905年の「飢えたライオン(Le lion, ayant faim, se jette sur l'antilope )」はその嚆矢となる作品である。この1905年という年は、サロン・ドートンヌを舞台にして、フォーヴィズムが広く認知された。ルソーもその流れに乗る形で評価された節があるが、ルソー自身としては、フォーヴィズムを含めてあらゆる芸術運動から超越したところに立っていた。かれは〇▽派に分類されることを嫌ったのである。

当時のルソーは、妻のジョゼフィーヌに先だたれ、また多額の借金の返済を債権者からせまられ、非常に苦しい境遇にあった。しかしこの絵には、そうした私生活上の苦しい事情は一切感じられない。ルソーの想像力は、異国のジャングルを自由に飛び回っている。一度もそこに足を踏み入れたことがないというのに。

(1905年 カンバスに油彩 200×300㎝ スイス、バーゼル美術館)




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