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ミケランジェロの彫刻1:ルネサンス美術




ミケランジェロは、ルネサンスを代表する美術家であり、また人類史に屹立する巨人だといえる。画家としてはダ・ヴィンチと並び称されることがあるが、彫刻や建築をも含めた総合的な芸術家としては、ダ・ヴィンチをしのぐと言ってよい。彼は史上最大の彫刻家としての名声に相応しいし、また建築の分野でも著しい業績を上げた。

ミケランジェロの画家としての業績については、別途紹介したので、ここでは彫刻における主な業績を紹介したい。

ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の壁画制作にあたって、その契約書に「彫刻家ミケランジェロ」と署名したことからうかがわれるように、自分自身を彫刻家として認識していた。絵の修行はドメニコ・ギルランダイオのもとで、彫刻の修行はベルトルド・ディ・ジョヴァンニのもとで行い、若い頃から天才を発揮した。

ミケランジェロは、十代の頃から優れた彫刻作品を制作し始めたが、彼の彫刻家としての名声を轟かしたのは、フランス人枢機卿ラグロラの依頼で作成した「ピエタ」像である。23歳の時にとりかかり25歳の時に完成させた。

ピエタとは、十字架から降ろされたキリストを、聖母が抱きかかえて嘆き悲しむ様子を表現したもので、絵画作品のなかではよく取り上げられていたが、彫刻作品のなかで取り上げられたのはこれが始めだった。依頼主の枢機卿の祖国フランスでは、木彫りのピエタ像が沢山作られていたというから、枢機卿はそれを大理石で作らせたかったのだろう。

ミケランジェロは、材料となる大理石を自分で見聞し、巨大な一枚岩からこの作品を掘り出したと言う。ピエタ像としては無論、彫刻作品としても、最も高名な作品となった。(1500年 ローマ、サン・ピエトロ大聖堂)



「ピエタ」と並んで有名な「ダヴィデ」像は、ミケランジェロが29歳の時に完成した。この作品をミケランジェロに注文したのは、フィレンツェの羊毛ギルドであり、完成した暁にはシニョリーア広場にたてることになっていた。いまでもシニョリーア広場に立っているが、それは複製であり、本物はアカデミア美術館に保存されている。ゴリアテを睨みつけるダヴィデの猛々しい表情が印象的だが、全体としては典雅な雰囲気を感じさせる。



1506年に、ヘレニズム時代の彫刻「ラオコーン」がローマで発掘され、これを見たミケランジェロは大いに刺激された。以後のミケランジェロの作品には、絵画と彫刻を通じて、荒々しい躍動感が観られるようになる。これは、1515年に完成した「モーゼ」像であるが、聖人の像であるにかかわらず、荒々しい躍動感を感じさせる。





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