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ミケランジェロの彫刻2:ルネサンス美術




ミケランジェロはフィレンツェのメディチ家と深い関係があった。そのことから、メディチ家出身のクレメンス教皇から、メディチ家の主要人物4人の霊廟の制作を命じられた。その霊廟は、サン・ロレンツォ聖堂に付属させる形で作ることになり、ミケランジェロはその建物の設計と、霊廟を飾る彫刻の作成を請け負った。それが今日フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂と、それを飾る彫刻群である。

霊廟は、当初計画された四人分から、ヌムール公ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチとウルビーノ公ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチの二人分に縮小された。ミケランジェロは、この二人の霊廟を飾るものとして、二組の彫刻群と、聖母子の彫刻を作成した。

上の写真は、ジュリアーノ・デ・メディチの霊廟を飾る彫刻群で、夜と昼をあらわす。手前の男が昼で、向こうの裸婦が夜である。夜と昼がなにを象徴しているのか、それは明らかではない。



これはロレンツォの霊廟を飾る彫刻群で、夕暮れと曙をあらわしている。男が夕暮れ、女が曙の象徴である。

これらの彫刻群は、以後の彫刻史に多大の影響を及ぼし、人体表現の手本となった。



これは、聖母子の像。礼拝堂の壁に設置された三体の彫刻の真ん中に位置する。なお、ミケランジェロは自分でこれらの彫刻群を霊廟に設置したわけではなく、彼がローマに去った後、別の人物によって今日あるような形に整備された。





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