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生きる喜び(La joie de vivre):マティス、色彩の魔術





「生きる喜び(La joie de vivre)」は、マティスのフォーヴィズム時代の代表作だ。彼はこの作品を仕上げるために、セーヴル街の修道院跡を借りてアトリエにし、1906年のサロンドートンヌに出品した。すると前年のサロンに出品した「帽子をかぶった女」以上に強い反響を巻き起こした。その中には否定的なものも多かった。シニャックは、この絵を見て、ポインティリズムへの反逆だと非難した。それまでマティスはシニャックに師事してポインティリズムの研究に励み、有力な後継者としてシニャックから期待されていたのだった。それがわずかな期間をおいて、ポインティリズムとは反する傾向にマティスが走ったわけだから、シニャックの落胆も大きかったのである。

前年と同様好意的な反応もあった。象徴派の詩人マラルメの書き残した言葉、「一つの場面に肉感的であると同時にきわめて抽象的な詩的イメージを共存させる」を引用し、これをその実現例として褒め称えた批評家もあった。

たしかにこの絵は、肉感的でもあり、抽象的なところも感じさせる。広大な草原に裸の男女を配置するという発想はそれまでなかったことだ。しかも男女はただの裸ではなく肉感的なエロティシズムを感じさせる。人間のこうした肉感性の強調は、同時代のピカソも共有したいたところであり、「アヴィニョンの娘たち」(1907年)は、その一つの成果といってよかった。マティスとピカソは、この後20世紀を代表する双璧として、長いライバル関係を続けることとなろう。

抽象的という点では、全体の構図もそうだし、人物の描き方もそうだ。草原のようでもあり、ジャングルの中の広場のようでもあり、または湖の辺のようでもあるが、そのどれでもないようにも見える。つまり従来の絵のように、見てすぐわかるようには描かれておらず、見る人をしていろいろな解釈をさせる。そこが抽象的という所以だ。人物の描き方も、わざと陰影を無視してフラットに描いている。人間をこんなに平面的に描くというのは、マティスが始めて試みたことだ。

色彩の配置(配色)はかなり自由自在だ。いちおう色の調和に気を使っているように見えるが、一つの色面は原則としてシンプルな色で埋められている。混色してあいまいな色彩を演出するよりも、色をストレートに乗せて、色同士の間にかもし出される比例のようなものを楽しんでいる風情がある。もっともこの絵の中の色の使い方は、ゴーギャンのように爆発的な印象を与えることはない。一応は落ち着いた印象を与える。

画面の中央に、数人の男女が輪になって踊る場面が描かれているが、これは後に「ダンス」と題された一連の作品群の中で、独立したイメージに発展してゆく。(1906年、キャンバスに油彩、174×238cm、バーンズ財団蔵)





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