壺齋散人の 美術批評 |
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1940年の夢(Le rêve de 1940):マティス、色彩の魔術 |
「1940年の夢(Le rêve de 1940)」と題するこの絵は、「ルーマニア風のブラウス」と対をなすものである。マティスはこの二つの作品を非常に気に入り、自分のアトリエの壁に、並べて架けていたほどだった。 マティスは始めてルーマニア風のブラウスを見たときに、これと同じものをいくつも欲しいと願ったそうだ。ブラウスに施されていた装飾的なイメージがマティスの心を動かしたのだと思う。彼がその希望をかなえたかどうか、それはわからないが、ルーマニア風のブラウスをモチーフにしたこれら二つの絵をよく見比べると、装飾のパターンは異なっている。実際にパターンの異なるブラウスを描いたのか、それともマティスがパターンを自分で創造したのか、これもよくはわからない。 題名に「1940年の夢」とあるのは、どういう意味を込めているのか。1940年といえば第二次大戦が勃発して、フランスはナチスに占領されていた。マティス自身は南仏のニースを拠点にしていたので、ナチスの暴虐を直接目にすることはなかったが、親しい友人の中にも海外に亡命するものはいたし、マティス自身もブラジルへの移住を勧められたりしていた。そんななかでマティスはフランスに留まることを選んだのだったが、その選択には、戦争が早く終わって欲しいという願望も込められていただろう。「1940年の夢」は、そうした願望を反映しているのではないか。 習作のデッサンを見ると、ブラウスを着た若い女がテーブルにもたれかかって転寝をしているポーズになっているが、完成形の絵とは大分イメージが違う。マティスは、モデルのフォルムを自由に作り変えた上で、それにルーマニア風の装飾イメージを描き加えたようだ。 ルーマニア風のブラウスの装飾模様は、波型の線が中心になっている。それに呼応するように、モデルの髪にも波型の曲線が描かれている。このことについてマティスは、友人への手紙に、「髪の毛や袖の刺繍の描き方ばかりに注目する人は、ふざけているのかと思うでしょう」(高階秀爾監訳)と書いている。マティスは別にふざけていたわけではなく、象徴的なイメージとしてこれらの波型を選んだのだ。その証拠に、この絵の完成に、マティスは一年もかけている。 (1940年 キャンバスに油彩 81×65cm 個人蔵) |
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