壺齋散人の 美術批評 |
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睡蓮その二:モネ |
20世紀に入るとモネは専らジヴェルニーの自宅の池の睡蓮を描くようになった。その数は膨大なものだ。睡蓮は、季節の移り変わりや、見る角度によってさまざまな表情を見せてくれるので、描き飽きるということがなかったのである。1908年のジェフロワ宛の手紙にモネは次のように書いている。「この仕事に没頭しきっています。これは私のような老いぼれの能力を超えた仕事です。でも私は私が感じていることを表現したいのです」。彼が睡蓮を描き飽きなかった理由の一端がこの文章には示されているようだ。 上の絵は、1916年の作品。水面に点々と浮かんだ睡蓮が、紅白の花びらを開いたところを捉えている。その花や葉はざっくりとした筆使いで描かれ、背景となる水面も混とんとしたイメージを醸し出している。対象を一目で捕らえた時の瞬間的な印象を絵にしたら、こんなふうになる、と言っているようだ。(1916年 カンバスに油彩 100×100㎝ 東京、国立西洋美術館) これは1919年の作品。上の絵よりも更に輪郭が不明瞭である。中央の明るい部分は睡蓮の花だと思うが、一目見ただけでは、そのようには見えない。睡蓮の色彩感だけがストレートに伝わって来る。その印象をこういう形で表したのだろう。(1919年 カンバスに油彩 100×200㎝ 個人蔵) |
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