壺齋散人の 美術批評 |
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桟敷席:ルノワールの世界 |
1874年の春に、ルノワールはモネやドガなど親しい画家仲間たちと、後に印象派展とよばれるようになる展覧会を開いた。モネを中心とする若手画家たちは、サロンになかなか入選しないことにいらだち、落選展の開催を求めていたが、その求めが実現しないので、自分たちで作品を展示する場を設けようと考えたのだ。その考えが実施されたのは1873年の暮のことで、モネやルノワールが中心になって画家や彫刻家による共同出資会社が作られ、その会社の主催する形で、展示会が催されたのであった。主な出展者はほかに、ドガ、ピサロ、シスレー、モリゾ、セザンヌだった。マネにも声がかかったが、マネはサロンに出展するほうを選んだ。 この展示会にルノワールは、「桟敷席(La Roge)」と題した絵(上の写真)のほか、数点を出展した。この展覧会は、モネの「印象」と題する絵にかこつけて、印象派という言葉が生まれるきっかけとなったものだが、それは好意的な言い方ではなく、嘲笑を込めた表現だった。その中でルノワールは、嘲笑の度合いが弱かった。なかには、ルノワールに好意的な批評家もいたのである。 そうした批評家たちは、ルノワールの絵に、美術的な関心よりは、風俗画としての関心を寄せた。この展示会には、女性を描いた絵をルノワールは出展したのだが、その女性たちが、同時代の女たちの風俗を感じさせるというのである。つまり、ルノワールはすぐれた風俗画家として、まず評価された形である。 この絵のモデルは、ルノワールの弟エドモンと、モデルのニニとされている。そのニニに批評家たちは、高級娼婦のイメージを感じ取った。ニニにはブスというあだ名があったそうだが、この絵の中の女性には、エレガンスさえ感じられる。 なお、この展示会の数年前、1870年には普仏戦争が勃発し、ルノワールも徴兵されているが、実戦に参加することはなく、戦争の影響はほとんど感じさせない。 (1874年 カンバスに油彩 80×63㎝ ロンドン、カートールド・インスティテュート) |
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