壺齋散人の 美術批評 |
HOME | ブログ本館 | 東京を描く | 水彩画 | 日本の美術| プロフィール | 掲示板 |
虎と野牛の闘い:アンリ・ルソーの世界 |
![]() アンリ・ルソーの絵が売れるようになったのは最晩年のこと、死ぬ二年前ほどのことだ。「蛇使いの女」の成功などで、画家としての名声が高まったのだ。しかし貧乏暮しは相変わらずだったし、死の前年の1909年には、前々年に引き起こした詐欺事件のために懲役二年の刑を宣告された。執行猶予がついたので投獄は免れたが、精神的なショックは大きかっただろうと思われる。 「虎と野牛の闘い」と題したこの作品は、1909年に画商ヴォラールに売った。値段はたったの200フランだった。その際の手紙のやり取りの中で、ルソーはこの絵を、客の注文を受けて描いたと書いている。その際の取り決め価格は5000フランだったそうだ。どういう理由で破談になったかは明らかではないが、目論見の価格をはるかに下回る値段で売らざるを得なかったわけだ。 構図的には、「飢えたライオン」の焼き直しといってよい。ワニに襲いかかるライオンの代わりに、野牛に襲い掛かる虎を描いている。密林の樹木の描き方とか、空の一部で空白をとっているところなどは、ほぼ同じ趣向である。 この絵は、注文主には気に入ってもらえなかったが、1908年のアンデパンダン展に出展され、それなりの称賛を浴びた。その割に、画商に買いたたかれて、ルソーとしては不本意だったに違いない。 (1908年 カンバスに油彩 200×200㎝ クリーヴランド美術館) |
HOME | アンリ・ルソー | 次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2021 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |