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ルソー「フォンテーヌブローの森の入口」:バルビゾン派の画家たち




ルソーは1837年から47年までサロンから締め出された。サロンが保守化の傾向を強め、ルソーのような革新的な画風を受け入れなかったからだといわれる。ルソーはまた、進歩主義的な意見をもっていたので、その点もサロンの気に入らなかったようだ。

1848年にいわゆる二月革命がおき、ブルジョワ進歩主義が勝利すると、ルソーはいちやく時代の花形に踊りでる。自分を締め出したサロンの審査員になったし、革命政府から絵の注文も受けた。「フォンテーヌブローの森の入口、日没(Sortie de forêt à Fontainebleau, soleil couchant)」は、革命政府の注文を受けて製作したものである。

文字通りフォンテーヌブローをモチーフにしているが、ルソーは1837年以来フォンテーヌブローの森の入口にあたるバルビゾンに製作の拠点を置いていたのだった。二月革命の際には、革命の騒乱を避けて大勢の芸術家がバルビゾンにおしかけてきて、バルビゾンは新しい芸術の一大拠点となる。

画面の周囲を樹木で暗くし、中央部分を明るく描く手法はルプソワールと呼ばれ、バルビゾン派風景画の特徴となった。

(1849年 カンバスに油彩 142×197cm パリ、ルーヴル美術館)




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