壺齋散人の 美術批評
HOME ブログ本館 | 東京を描く 水彩画 日本の美術 プロフィール 掲示板


ロメーヌ・ラコーの肖像:ルノワールの世界




ルノワールは国立の美術学校に通うかたわら、スイス出身の画家シャルル・グレールの主催する美術学校にも通った。国立美術学校からはほとんどましな美術教育は期待できなかったようで、かれはもっぱらグレールのほうから刺激を受けていた。その美術塾の同僚には、後に親友となるフレデリック・バジールやクロード・モネ、アルフレッド・シスレーといった人々がいた。かれらはこの塾で、ロマン派の巨匠ドラクロワや写実主義のクールベを研究した。また、コローやアングルにも傾倒した。

ルノワールは早熟で、1964年のサロンに入選した。サロンに入選するということは、職業画家として出発するについて、いい門出であった。その入選作は「踊るエスメラルダ」といって、ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートル・ダーム・ド・パリ」に着想を得たものだったが、なぜかこの作品をルノワールは自分の手で破棄してしまった。

ルノワールは非常に貧乏だったので、生活費を稼ぐために、裕福な人々の依頼で肖像画を描いた。ルノワールの初期の傑作として知られる「ロメーヌ・ラコーの肖像(Portrait de Mademoiselle Romaine Lacaux)」はその一点。磁器製造会社を経営する裕福なブルジョワ、ラコーの娘を描いたものだ。ブルジョワの家庭の娘らしく、上品にすました少女のみずみずしい表情が印象的である。

この絵には、アングルやコローの影響が濃厚で、まだルノワールらしさは出ていないが、女性の内面性に迫ろうとするルノワール特有の傾向を、早くも見て取ることができるのではないか。この絵の色遣いは、全体として寒色がかっており、あまり暖かさは感じられないが、その分、理知的な雰囲気がただよってくるようになっている。そうした雰囲気に、依頼主であるラコーは、満足したにちがいない。

(1864年 カンバスに油彩 81×65㎝ クリーヴランド美術館)




HOME ルノワール次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2019
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである