壺齋散人の美術批評
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アントワーヌ・ヴァトーの初期作品「眺め」




アントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau 1684-1721)は、フランスのロココ美術を代表する画家である。ロココ美術は、18世紀のフランスの宮廷から発生したと言われ、非常に典雅な画風が特徴である。ヴァトーはそうしたフランス風のロココ美術の特徴をもっともよく体現した画家である。1710年代の後半に現れ、わずか37歳の若さで死んでしまったが、かれの画風は以後のフランス絵画に大きな影響を与えた。ヴァトーの登場によって、それまで地方的な位置づけしかもたなかったフランス美術が、ヨーロッパ美術を牽引するようになる。

ヴァトーは、かつてフランドル領だったヴァランシュンヌの、瓦職人の子として生れた。子供のころから絵がうまく、地元の画家から指導を受けた後、1702年頃にパリに出て、芝居絵の職人クロード・ジローの下で徒弟奉公をした。その後、当時室内装飾家として有名だったクロード・オードランに弟子入りして、典雅な室内画の制作に励むようになる。その折の体験が、ヴァトーの画風の確立につながったのだろう。

ヴァトーが画家としての名声を確立するのは、1719年に制作した「シテール島への船出」によってだが、それ以前には、優雅な画風の風絵画を描いていた。その風景画には、宴に興ずる人々が描かれており、そうした作風を「雅宴画」といって、重要なジャンルに成長することになる。

「眺め(Perspective)」と題するこの絵は、副題に「木の間からの眺め」とあるように、樹間の空き地で宴をする人々を描いている。ピエール・クロザ所有のパリ郊外の別荘である。クロザは大金融家であり、財務大臣をやった男だが、芸術に関心が深く、絵画の収集家としても知られていた。ヴァトーはそのクロザの知己を得て、いろいろ世話になった。その恩返しのつもりで、クロザの家族の肖像画をプレゼントしたのであろう。

(1916年頃 カンバスに油彩 46.7×55.3㎝ ボストン美術館)



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