壺齋散人の美術批評 |
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中国にて:ドーミエの風刺版画 |
1850年代の後半には、ルイ・ナポレオンの専制が強化され、フランスの権力を風刺することが困難となった。監獄にぶち込まれる危険が高まったのである。そこでドーミエの風刺精神は海外に向けられた。海外のうちでも当面ドーミエの興味を引いたのは中国だった。中国はアヘン戦争に敗けてから西欧植民地主義の餌食になりつつあったが、それは中国自身が頑迷固陋で進歩とは縁がないからだ、そう考えたドーミエは、中国の野蛮さを風刺の対象としたのであった。 「中国にて」と題される中国風刺シリーズは、1858年からはじまった。当時フランスも、アロー号事件などにかかわり、中国侵略を本格化していた。ドーミエは、フランスの中国侵略を当然のことと前提したうえで、中国が侵略を許すのは、自分自身が文明の進歩から遅れているからだと揶揄したのである。 これはその一枚。左側にいるのは中国の皇帝。その皇帝の命令で、兵士たちに縞柄の制服が支給されている。その縞柄は、カノン砲に施されている腔線をイメージしたものだ。我々も西洋の大砲に匹敵する能力を持っていると主張しているようである。それをドーミエはあざ笑っているのである。 (1859年 リトグラフ 28.9×30.2㎝ シャリヴァリ) |
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