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トルコ風肘掛け椅子のオダリスク(Odalisque au fauteuil turc):マティス、色彩の魔術 |
「トルコ風肘掛け椅子のオダリスク(Odalisque au fauteuil turc)」は、1928年に「二人のオダリスク」と前後して描かれた。マティスはこの絵が気に入っていたようで、友人への手紙の中でも、「勝ち誇ったような輝きのなかに、陽光の明るさが満ち溢れているでしょう」(高階秀爾監訳)と書いて自慢している。 背景は、トルコ風の肘掛け椅子のほかは、「二人のオダリスク」とほとんど同じである。壁紙の花模様、桟敷の色やその腰布の模様は全く同じであるし、花瓶や格子柄のクッションなどの小物も同じである。マティス自身は、この絵が光の明るさに満ちているといっているが、「二人のオダリスク」もこの絵に劣らず明るい雰囲気を感じさせる。 以前のマティスのオダリスクは、両手を頭の後ろに回しているのが多いが、この絵のオダリスクは、片手で頭を支え、もう片方の手は腰のほうに延ばしている。面白いのは、肘掛け椅子に寄せ掛けた右腕と、肘掛との関連があいまいなことだ。この椅子には肘掛があるはずで、したがって女はその肘掛に自分の肘をかけているに違いないのだが、この絵を見る限り、女の右腕は肘掛で支えられてはおらず、空中に浮いているような感じを与える。 「二人のオダリスク」と同様、この絵の中の女の目も曖昧な線で表現されている。手もそうだ。足の先もやや曖昧な形といえる。このように人体の描き方を曖昧にすることで、マティスは絵の装飾的なイメージを強化したかったのだと思われる。人体をあまりリアルに描いては、装飾性はかえって損なわれるものだから。 なお、この女のモデルが、「二人のオダリスク」のなかの下の女と同じ人物だということは、長い髪や足環の模様などから推測がつく。「二人」では脇役に甘んじていた女が、この絵の中では単独者としての存在感を示しているわけだ。 (1928年 キャンバスに油彩 60×73.5cm パリ、現代美術館) |
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