壺齋散人の 美術批評 |
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音楽(La musique):マティス、色彩の魔術 |
マティスには、以前手がけたモチーフを、新たな視点から再構成した作品群があるが、「音楽(La musique)」はその代表的なものだ。これは、1910年の大作「音楽」を意識した作品であるが、一見すると、構図と言い色彩と言い、大分違った印象を与える。前の作品は五人の男たちをモデルにして、構図も色彩もごくシンプルだが、こちらは二人の女をモデルにして、構図は多分に装飾的であるし、色彩も華やかだ。だが相違の中で最大のものは、「音楽」の表現の仕方だろう。前の作品からは画面から音があふれ出してくるように感じられるのに対して、この絵からはそういう感じは伝わってこない。むしろ沈黙が伝わってくる。ギターにストリングが張られていないのは、それが沈黙していることの視覚的な表現なのだ。 マティスは一枚の絵を完成させるまでに何度も描きなおすプロセスを重ね、そのたびに中間的な仕上がりを写真に保存しておく習慣があった。この絵の場合にも、そうした中間的な仕上がりを示す写真が何枚か残されているが、それを見ると、構図のような重要な要素においても、描きなおしがあったことがわかる。最初の構図は、エレーヌ・ガリツィーニの「ギターを弾く黄色と青の女」を下敷きにしたことがわかっている。その構図と最終的な構図を比較すると、女の間の距離やそれぞれの姿勢に顕著な相違がある。面白いのは、二人の女の衣装の最終的な色が青と黄色ということで、これは最初にインスピレーションを与えてくれたガリツィーニへの敬意の現われと思える。 女たちの衣装の色をはじめとして、この絵にも装飾的な要素が強く見られる。特に背後の葉っぱのイメージは、まさしく装飾そのものと言ってよい。ブラックを背景にグリーンを浮かび上がらせること、それらの色との対比で赤や黄色といった原色を配し、色彩のコントラストを最大限強調して見せていることなど、マティスのデザイナー的な才能を強くうかがわせるものだ。 女は二人とも十頭身を超える巨躯を誇っている。マティスにはアマゾネス崇拝の傾向があったのではないか、そんなことを感じさせる作品である。 (1939年 キャンバスに油彩 115×115cm バッファロー、オルブライト・ノックス美術館) |
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