壺齋散人の 美術批評
HOMEブログ本館東京を描く水彩画ブレイク詩集フランス文学西洋哲学 | 万葉集プロフィールBBS


ノアの煩祭:ミケランジェロ「システィナ礼拝堂天井画」




システィナ礼拝堂天井画のうち創世記に取材した九つの場面の最後の三つはいづれもノアの物語に取材している。すなわち「ノアの煩祭」、「洪水」、「ノアの泥酔」の三場面である。創世記ではこの三つの場面は、「洪水」、「煩祭」、「泥酔」となっているのだが、ミケランジェロはその順序を変えたわけである。

「ノアの煩祭」は、洪水が引いた後に、ノアが神への感謝の印として生贄を捧げたというものである。その部分を創世記は次のように記述している。「8:20ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。 8:21主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、『わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。 8:22地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう』」



ミケランジェロの絵は、ノアとその家族たちが神に生贄を捧げようとする場面を描いている。生贄として二頭の羊のほか、牛や馬も描かれている。ノアは祭壇の前に立っているが、その祭壇はかまどを兼ねていて、生贄の肉をそれで焼くのである。創世記に「香ばしいかおり」とあるのは、生贄の肉がやけた匂いだと考えられる。

羊を殺したばかりの青年、かまどにくべる薪をかけた青年、かまどの火の面倒を見ている青年など、それぞれの動作が生き生きと描かれている。



これは中央部の絵を取り囲む四人の裸体像のうちの一つである。裸体像と主題の絵との間には密接な関連はない。





HOMEミケランジェロシスティナ礼拝堂天井画次へ










作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2016
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである