壺齋散人の 美術批評 |
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赤子のマヤ:ピカソ、子どもを描く |
1935年9月、ピカソとマリー・テレーズとの間に女の子が生まれた。その子をピカソは、幼くして亡くなった自分の妹の名をとって、マリア・デ・ラ・コンセプションと名づけた。マヤはその愛称である。 オルガがパウロを生んだときと同じように、ピカソはマリー・テレーズとマヤの母子像を描いたが、勿論マヤ単独の肖像も多く描いた。この「赤子のマヤ(Maya bébé)」は、生後三か月のマリアを描いたスケッチである。 このように正面からアップで顔を描いたものはパウロの時にはなかった。子どもの表情がよく出るように、ピカソは非常に柔らかい手漉きの紙を用いている。 (1935年、紙にチョーク、26.0×17.5cm、個人蔵) |
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